・長野家は町代官、横目、組頭、郷土年寄等、郷の重役を歴任した家柄で、槍術の指南役を代々務めていました。当地は天ケ城の大手筋にあたり町人町である野町に接する防衛ラインとなった為、武家地が町割りされ「大手迫」と呼ばれていました。
長野家の武家門は江戸時代後期に建てられたもので、後方控柱付き腕木門形式の2段構えの観音開きの武家門です。
棟高3.745m、親柱間真真1.94m、親柱・脇柱間真真1.315m、親柱・控柱間真真1.065m、現在も親柱・脇柱・控柱・冠木・腕木・出桁等が新設当時の古材が残されています。
長野家武家門附石垣2基は高岡麓の歴史的景観を構成する重要な要素として貴重な事から宮崎市指定文化財に指定されています。
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