武家屋敷: 安井息軒旧宅

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安井息軒旧宅:略データ
・場 所・宮崎県宮崎市清武町加納甲
・建築年・江渡時代
・構 造・木造平屋建て、寄棟、茅葺
・文化財・国指定史跡
・指定日・昭和54年5月22日
・概 要・安井息軒は寛政11年に肥藩士安井滄州の次男として生れ、文政3年に大坂の篠崎小竹に師事したものの、文政4年に兄である清渓が死去した事で嫡男となり文政5年に帰郷しています。文政7年に江戸昌平坂学問所に入門し古賀伺庵や松崎慊堂に師事し、文政11年に帰藩し飫肥藩の郷学で清武郷に設けられた明教堂で教鞭をとっています。

天保2年に飫肥藩の藩校である振徳堂が竣工すると、一家は飫肥城下に転居し父親である安井滄州は総裁に就任、息軒は助教として支えました。

天保9年に息軒は、江戸に赴き飫肥藩や幕府に仕え儒官として昌平坂学問所の教授にも任命され「左伝輯釈」や「海防私議」等を執筆、さらに三計塾を開き多くの門弟を輩出しています。

安井息軒旧宅は安井家が飫肥から移転した事で、他者が買い取り移築されていましたが、大正12年に旧宅地は町で買収、さらに昭和4年に旧宅も買戻した為に現在地に再移転となり、平成6年に復元されました。

構造は木造平屋建て、寄棟、茅葺、外壁は建て板張りと真壁造り白漆喰仕上げ、建坪62.7u、間取りは武家屋敷らしい格式の高い2間半の式台付の玄関があり、8帖の座敷(上座)には床の間と天袋、地袋付きの脇床、天井が設けられています。その他には玄関背後の10帖の下座、下座の右側に4帖の下屋、その背後の6帖の納戸、玄関左側に3帖の書斎が配されています。

接客空間である下座と上座は庭園側に配され縁側が設けられる等、当家では格式の高い造りですが、安井家が塾を開いた以降は、子弟が教育を受ける場所として利用されています。

安井息軒旧宅:付近地図
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