宮崎県の江戸時代には延岡藩、高鍋藩、佐土原藩、飫肥藩が存在していました。又、南部方面は薩摩藩に属し、藩主島津家の有力家臣達が治めた麓と呼ばれる小城下町がありました。日南市飫肥は飫肥藩5万1千石の城下町で、低い石垣と漆喰塀、板塀、生垣の町並みが続き武家屋敷も点在、昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。宮崎市高岡町は薩摩藩の「麓」の1つで町並みとしては余りありませんが石垣や長屋門が残っています。都城市高城町高城も薩摩藩の「麓」の1つで石塀や門などが点在する武家町が見られます。都城市高崎町前田も薩摩藩の「麓」の1つでやはり石塀や門などが点在しています。
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