・豫章館は明治2年に版籍奉還により、飫肥藩14代藩主伊東祐帰が引き続き知藩事に任命され、先代で父親である伊東祐相と共に飫肥城から退去し移り住んだ邸宅で、屋敷の庭園の北隅にあった樹齢数百年の大クスに因んで「豫章館」と名付けられました。
主屋は、木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、妻入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、正面の玄関屋根は入母屋、桟瓦葺き、式台付の格式の高い玄関で、右側には家人が利用したと思われる脇玄関が設けられています。
内部は六部屋をL字型に配し、座敷のある庭園側には縁側が設けられ下屋庇が掛けられる飫肥の武家屋敷で良く見られる形式が継承されています。縁側は幅108cm、長さ17.3m+7m、雨戸は全開放出来るように縁側の隅で回転出来、独特の金物が用いられています。又、板材は樹齢数百年の柾目板、用材は良質な飫肥杉、下屋庇の瓦は飫肥瓦等の良材が使用されています。
座敷も床の間や天袋付きの脇床、書院、派手さは無いものの細かな組子による繊細な欄間等があり、近代和風的な要素が見られます。
屋敷内には主屋の他、御数寄屋や雑舎(台所・便所・納屋)、土蔵(2棟)、表門(切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門形式)が残され、飫肥城下では最も格式のある武家屋敷との評価を受けています。
庭園は武学流の作庭とされる枯山水式庭園で庭石や石灯籠・庭木などが巧みに配置されています。
豫章館がある飫肥が日南市飫肥伝統的建造物群保存地区に選定されると、その構成要素である伝統的建造物となり保存物件に指定されています。
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