・当住宅は江戸時代末期に高鍋藩に仕えた中級武士住居として建てられた建物で、電気技師で住友化学の社長等の要職を歴任した吉田貞吉の生家としても知れています。
吉田家は高鍋藩に仕え、幕末の当主だった吉田銀蔵は藩主秋月種殷に仕え、中小姓として30石を安堵されていました。跡を継いだ吉田良四郎は財津興兵衛の次男として生れ、当家に養子として入り、戊辰戦争の際には越前戦線に従軍し功績を挙げています。
吉田貞吉は良四郎の次男として生れ、土佐吉野川水力電気株式会社初代代表取締役、住友化学工業社長、南九州化学興行株式会社初代社長等を歴任しています。その後は貞吉の次女の家系の津田家が管理しました。
間取りは南北に土間と座敷2部屋が一列に配され、奥座敷が接客空間で、床の間を設ける等格式の高い造りとなっています。さらに東西に居室を二部屋配し、平面上はL型配置となっています。
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