・黒水家が高鍋藩秋月家に仕える140石取の上級武士で、代々家老を務めた家柄です。元禄6年に越後流兵学を極めた佐久間入道頼母が高鍋藩に下向すると、当時の当主である黒水次右衛門は頼母から兵学のいろはを徹底的に学び、元禄14年に免許皆伝となり以来、黒水家は高鍋藩の兵法家として確固たる地位を確立しています。
主屋は木造平屋建て、寄棟、茅葺、正面には格式の高い式台付玄関が設けられ、玄関の先には6帖敷きの玄関の間、その右には10帖の控えの間、さらに右には8帖の次の間があり、その前には上の間が設けられています。上の間には床の間や書院を設けた当家で最も格式の高い部屋で、欄間等も凝った意匠が施されています。
向かって左側が家人が利用する棟で、台所や居間等が配され、元々は別棟だったとされます。
籾蔵は江戸時代に高鍋藩の藩蔵だった建物で、元々は旧児湯郡役所の南側に位置していましたが明治4年に廃藩置県により高鍋藩が廃藩になると払い下げられ当家に移築したとされます。又、この籾蔵は西南戦争の際に政府側の兵士が監禁された歴史的にも貴重な存在です。
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