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神社山門: 日御碕神社 |
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日御碕神社 |
【 概 要 】−日御碕神社は天葺根命が文島に天照大神を祭り創建した神社です。伊勢神宮とは対を成す神社とされ、伊勢神宮が日の出、日御碕神社が日没を司るとも云われてます。天歴2年に村上天皇の勅願により現在地に遷座し社殿が造営されました。格式も高く、奈良時代に成立した出雲国風土記に列記され平安時代に成立した延喜式神名帳には式内社として記載されていました。歴代朝廷や為政者、領主から崇敬され、最盛期には4千石、江戸時代は600石の社領が安堵されていました。社殿の多くは江戸時代初期に3代将軍徳川家光により造営されたもので国指定重要文化財に指定されています。
【 場 所 】−島根県出雲市大社町日御碕 【 構 造 】−入母屋、檜皮葺、三間一戸、八脚楼門 【 備 考 】−日御碕神社が初めて記録に現れるのは奈良時代に成立した「出雲国風土記」の中の出雲郡条(四)、出雲郡の神社を列記している中で神祇官社には「美佐伎社」、不在神祇官社には「百枝槐社」と記載されている事です。因みに美佐伎社は神の宮、百枝槐社は日沈宮とされますが、由緒などは無く社号のみの記載となっています。次の記録は平安時代に成立した「延喜式神名帳」に「御碕神社」と記載され、既に神の宮と日沈宮の両社が1つの神社として認識されていた事が窺えます。その後は中世までの資料が無く不詳で、南北朝時代から室町時代の公卿で学者や歌人、禅僧としても知られる花山院長親(耕雲明魏)が応永27年(1420)に社殿の修造を行う為の「修造勧進状」を筆しています。これにより室町幕府第4代将軍足利義持や当時の管領である細川満元、出雲国の守護職である京極持高が賛同し、その後も大永4年(1524)や室町時代末期に発布された勧進簿には将軍や武将の名前が連ねている事からも、少なくとも室町時代初期には将軍や幕府の要人からも崇敬されていた事が窺えます。現在のような由来が何時頃から成立したのかは判りませんが、創建当初は文島を自然崇拝の対象とした素朴な神社だったと思われます。
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