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 高津柿本神社

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柿本神社:概要・歴史・大地震

柿本神社(島根県益田市高津町)

【 概 要 】−柿本神社は聖武天皇の勅願で神亀年間に創建された古社です。創建当時は柿本人麿の終焉の地とされる日本海に浮かぶ鴨島に鎮座していたとされますが、万寿3年の大地震により鴨島が海中に没しました。しかし、不思議な事に御神体だけが松崎の浜辺に流れ着き再び祭られるようになっています。

その後は歴代領主から崇敬庇護され社領の寄進や社殿の造営が繰り返され社運も隆盛しました。江戸時代に入ると石見銀山奉行の大久保長安や歴代津和野藩主が庇護し、延宝9年には亀井茲親が現在地に境内を移し社殿が造営されています。本殿は江戸時代中期に建てられたもので島根県指定文化財に指定されています。

【 場 所 】−島根県益田市高津町上市

【 構 造 】−入母屋、桟瓦葺、五間一戸、12脚楼門

【 備 考 】−万寿3年(1026)に発生した大地震は日本海側では最大級の地震だったとされ、こちらも珍しい津波が発生し各地に大きな被害を与えています(推定:マグニチュード7.5〜7.8)。古文書から山口県萩市須佐から島根県江津市黒松町に及び、柿本神社の前身である人丸寺が境内を構えていた鴨島はじめ柏島が水没したとされます。

内陸部は専福寺、安福寺、福王寺、妙福寺、蔵福寺は跡形もなく押し流され、海龍山遠田八幡宮(島根県益田市遠田町)、櫛代賀姫神社(島根県益田市久城町)は社殿が倒壊、護宝寺が流されたとされ、平安時代に発生した地震に対する古文書や伝承が異例な程に数多く残されている事から注視されます。

文書として最古のものは室町時代中期に東福寺(京都市東山区本町)の書記とされる「世徹物語」で人麻呂像が流され、当社が創建した由来等が記され、江戸時代中期の享保年間(1716〜1736年)に記されたとされる「沢江家文書」などには地震発生が万寿3年5月23日と日付まで明確に記録され「石見八重葎」に至っては各地の被害状況まで纏められています。

一方、「筆柿記」や「石見国名跡考」では否定的な記載もあります(大きな地震があったかも知れませんが、多くは江戸時代に誇張され伝承として伝わった話が単に纏められただけという可能性もあります)。

柿本神社:付近地図・島根県益田市高津町上市
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