※このサイトは境内に山門(門扉)がある神社の写真や、私論、感想を掲載しています。

 神社山門: 佐太神社

  全国の観光と歴史的建築物(ホーム)全国の神社山門島根県>佐太神社(松江市鹿島町)

佐太神社

佐太神社(島根県松江市鹿島町)

佐太神社(島根県松江市鹿島町)

佐太神社(島根県松江市鹿島町)

【 概 要 】−佐太神社は「出雲国風土記」や「延喜式神名帳」に記載されていた古社で、格式が高く貞観13年に従四位下に列し、出雲国二宮に格付けされました。歴代領主からも崇敬庇護され、広大の社領と数多くの神官を擁していました。江戸時代に入ると歴代松江藩主から庇護され社領の寄進や社殿の造営が行われました。佐太神社の正殿、北殿、南殿は江戸時代後期に建てられたもので国指定重要文化財に指定されています。社宝が多く色々威胴丸(兜・大袖付)、色々威五十八間筋兜、色々威腹巻(兜・大袖付)、彩絵檜扇・龍胆瑞花鳥蝶文扇箱が国指定重要文化財 、佐陀神能が国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

【 場 所 】−島根県松江市鹿島町佐陀宮内

【 構 造 】−切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門・切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門・切妻、銅板葺、一間一戸

【 備 考 】−祭神である佐太大神は奈良時代に成立した「出雲国風土記」に度々掲載され、加賀郷の条では「郡家北西廿四里一百六十歩。佐太大神所生也。御祖神魂命御子。支佐加地比売命。闇岩屋哉。詔。金弓以射給時。光加加明也。故云加加。」とあり、佐太御子社を説明する条では「神名火山。郡家東北九里四十歩。高二百三十丈。周一十四里。所謂佐太大神社。即彼山下也。」とあり、収録された説話の加賀神埼の条では「加賀神埼。即有窟。高一十丈許。周五百二歩許。東西北通。所謂佐太大神所産生処也。所産坐臨時。弓箭亡坐。尓時。御祖神魂命御子。枳佐加地比売命願。吾御子。麻須羅神御子坐者。所亡弓箭出来。願坐。尓時。角弓箭。随水流出。尓時。取之詔子。此者非弓箭。詔而擲廃給。又金弓箭流出来。即待取之坐而。闇鬱窟哉。詔而。射通坐。即御祖支佐加地比売命社。坐此処。今人。是窟辺行時。必声?而行。若密行者。神現而飄風起。行船者必覆。」とあります。

佐太大神は神魂命の御子神である支佐加比売命の御子で、加賀の神埼の岩屋(洞窟)で生まれました。支佐加比売命が出産する際、弓矢を失った事から、「生まれてる私の赤ちゃんが麻須羅神の子供であるならば、弓矢よ出てきてください」と、うけい(契約)すると角ばった弓矢が流れ着いた為、「この弓矢は私の弓矢ではありません。」と投げ捨てると、今度は金の弓矢が流れてきたのでそれを持ち上げ、岩屋が暗いと言って射通しました。即ちここ(岩屋)が支佐加地比売命を祭る社である。ここを通る人は皆、高い声をあげる事なく密かに通り抜けようとすると、神が出現し強い風を起こし、行き来する船は必ず転覆します。と訳されます。

島根県の神社山門
須佐神社日御碕神社山辺神社柿本神社住吉神社鷲原八幡宮横田八幡宮神原神社
伊奈西波岐神社宇美神社六所神社美保神社金屋子神社富田八幡宮熊野大社佐太神社
伊賀多気神社城山稲荷神社八重垣神社平濱八幡宮
 ※ このサイトは資料やパンフレット、案内板などを参考にしていますが、私的な見解や推察などが多分に含まれている為、最終的な確認、決断は個人で行ってください。又、文章や写真の利用は御遠慮ください。