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 神社山門: 六所神社

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六所神社

六所神社(島根県松江市大草町)
【 概 要 】−六所神社が何時頃から信仰が始められたのかは不詳ですが奈良時代に成立した「出雲国風土記」や平安時代中期に成立した「延喜式神名帳」に記載された古社で、当時は「佐久佐神社」と呼ばれていたようです。ただし、佐久佐神社は八重垣神社も主張している事から論社となっています。出雲国府に隣接し、出雲国総社とも呼ばれ、歴代国司、守護、領主、藩主から崇敬庇護され、社領の寄進や社殿の造営が繰り返されました。紙本著色勅使代参向図は江戸時代初期に描かれたもので島根県指定文化財に指定されています。

【 場 所 】−島根県松江市大草町

【 構 造 】−入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−六所神社と八重垣神社のどちらが出雲国風土記、延喜式神名帳に記載されている佐久佐神社を決めるのかは中々難しいとされます。客観的な資料では無いものの、社伝によると現在地より西方約1キロ程離れた地(現在の八重垣神社)に鎮座していたとされ、出雲国風土記の大草郷の条に「郡家南西二里一百二十歩。須佐乃乎命御子、青幡佐久佐日古命坐。故云大草。」と記されている地に一致するされます。平安時代に入り、総社制度が浸透すると出雲国の国府に隣接する現在地に遷座し出雲国総社になったとされ、祭神である青幡佐久佐日古命の後裔とされる佐草氏が引き続き神官に担ったと思われます。鎌倉時代に入り朝廷の権威が衰退すると国府の機能が失われ、佐草氏は杵築大社(現在の出雲大社)の神官として当地を離れると総社の権限だった管轄権が杵築大社に遷され、さらに、当社の神官は神魂神社の神官である秋上氏が兼任するようになり、総社(六所神社)で行われていた新嘗会も神魂神社に遷りました。その後、佐草氏によって旧社地(現在の八重垣神社)に佐久佐神社が再興されたようで、これを中世佐久佐神社と呼び、古代佐久佐神社の後継神社とされる六所神社とは区別しているようです。因みに社号の「六所」は総社であった為、国内の神社を登録・管理し統括する「録所」が転じた説があり、全国でも出羽国総社、安房国総社、武蔵国総社、下総国総社、相模国総社が六所神社を社号として掲げています。

島根県の神社山門
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伊賀多気神社城山稲荷神社八重垣神社平濱八幡宮
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