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神社山門: 熊野大社 |
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熊野大社
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【 概 要 】−熊野大社は斉明天皇5年に天皇の勅願により創建された古社で、格式が高く平安時代中期に成立した延喜式神名帳には名神大社として記載されていました。出雲大社と共に出雲国一宮、熊野信仰の拠点として繁栄しましたが戦国時代の兵火により衰微しました。江戸時代に入ると松江藩主堀尾氏に庇護され社領が安堵されました。明治時代に社殿が再建され大正時代には国幣大社に列し、大きく発展しました。
【 場 所 】−島根県松江市八雲町熊野 【 構 造 】−切妻、銅板葺、一間一戸・切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門 【 備 考 】−奈良時代に成立した「日本書紀」の斉明天皇5年 (659)条に「是歳、命出雲国造。修厳神之宮。」の一文があり「厳神之宮」が当社の事とされます。何故、厳神之宮が熊野大社の事を指しているのかは良く判わかませんが、出雲大社も「厳神之宮」とする説があり、どちらが正しいのかも良く判りませんでした。その後の記録としては、同じく奈良時代に成立した「出雲国風土記」の意字郡出雲神戸の條に「伊佐奈枳乃麻奈子坐、熊野加武呂乃命」とあり当社の祭神を伊弉諾の真名子と表現し遠まわしに素戔嗚尊を意味しているとも云われています。平安時代初期に編纂され資料的な価値が疑問視される「先代旧事本紀」の神代本紀によると「御鼻を洗われた際に成った神の名は、建速素戔烏尊。出雲国の熊野神宮と杵築神宮に鎮座している。」とあり事実とすれば、当社に建速素戔烏尊が祭られていた事が判ります。 一方、熊野大社は熊野山(天狗山)を御神体とする素朴な信仰が前身だったとも考えられ、山を挟んだ山狭神社(久志美氣濃神社)とは対の関係だった可能性があるとされます。それは、平安時代中期に成立した「延喜式」の「出雲國造神賀詞」に当社の祭神として「伊射奈伎乃日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野神命」と表記され、この中の「櫛御気野神命」は山狭神社(久志美氣濃神社)の祭神と同神で、出雲国風土記では「夜麻佐神」として熊野大社の次に列記され、当社に準じる格式と推察される為とされます。
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