全性寺(卯辰山寺院群): 楼門

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全性寺(石川県・金沢市)

全性寺(石川県・金沢市)概要: 全性寺は大永2年(1522)に日仁上人によって創建された寺院です。加賀藩(石川県金沢市:本城−金沢城)初代藩主前田利長から庇護され、越中放生津(富山県射水市)から富山城(富山県富山市)の城下、越中守山城(富山県高岡市)の城下、江戸時代中期になり現在地である金沢城の卯辰山麓に境内を移しました。特に9代藩主前田重教の生母である実成院から篤く帰依され「赤門寺」の別称で親しまれています。全性寺山門は江戸時代後期に造営されたもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、外壁は真壁造り板張り、木部朱塗り、上層部高欄付、下層部金剛力士像安置、「金剛閣」の扁額、金沢市指定文化財に指定されています。全性寺が境内を構える卯辰山寺院群は金沢城を中心にすると北東方向にあたる為、城下町が町割りされる際には陰陽道の観点から鬼門封じの為に多くの神社仏閣が配置されました。特に加賀藩2代藩主前田利常は積極的に卯辰山の山麓に寺院を集め一大寺町が形成され、金沢三寺院群(小立野・卯辰山・寺町)の1つに数えられました。又、卯辰山寺院群の近くには前田家が参勤交代で利用する北陸道が通過した事から金沢城の防衛面でも重要視されました。

金沢城金沢城は戦国時代の天文15年(1546)に加賀一向一揆衆により拠点として創建された尾山御坊(金沢御堂)を前身としています。当時の一揆衆は武装化して加賀国を掌握し自治権を行使していた為、尾山御坊は深い堀と高い土塁と柵に囲われ城塞化していました。しかし、天正8年(1580)の織田信長による北陸信仰により一揆衆は一掃され尾山御坊も織田家家臣の佐久間盛政により落とされています。盛政は金沢城として改築、改修、拡張し、以後、加賀国の中心施設となりました。天正11年(1583)に前田利家の居城になり、天正15年(1587)に前田家の客将である高山右近により大規模な縄張りが行われています。江戸時代に入り加賀藩が立藩すると金沢城は藩の中心施設として整備されています。

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