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 神社山門: 伊佐須美神社

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伊佐須美神社

伊佐須美神社(福島県会津美里町宮林甲)
【 概 要 】−伊佐須美神社は何時頃から祀られているのかは不詳ですが、伝承によると崇神天皇10年に当地を開発した大毘古命と建沼河別命が天津嶽の山頂に伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀る社を設けて創建したと伝えられています。古くから格式が高く延喜式神名帳では名神大社として記載され会津総鎮守、奥州二宮、岩代一宮とも言われています。歴代領主から崇敬庇護され、特に長く会津地方を支配していた芦名氏からは篤く信仰され社殿の造営などが行われました。江戸時代に入ると会津藩主松平家が庇護し会津大鎮守六社に指定され特別待遇されています。

【 場 所 】−福島県大沼郡会津美里町宮林甲

【 構 造 】−入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−伊佐須美神社の祭神である大毘古命は、第8代孝元天皇と皇后鬱色謎命の第1皇子で、奈良時代に成立した日本書紀の崇神天皇10年9月9日の条によると、大彦命(大毘古命)が四道将軍として北陸に派遣された事が記されています。一方、「古事記」によると崇神天皇の御代に大毘古命(大彦命)は高志道に派遣された事が記されています。

伊佐須美神社の祭神である建沼河別命は、大彦命の子で、奈良時代に成立した日本書紀の崇神天皇10年9月9日の条によると、武渟川別(建沼河別命は)が四道将軍として東海に派遣された事が記されています。

一方、「古事記」によると崇神天皇の御代に建沼河別命(武渟川別)は東方十二道に派遣された事が記されています。大毘古命と建沼河別命が合流した地は「相津」と呼ばれ、それが転じて「会津」の地名の由来になったとされ、両神は陸奥国と越後国の国堺に聳える御神楽岳の山頂にイザナギノミコト、イザナミノミコトを祭り伊佐須美神社を創建したそうです。

上記の記紀の記述や伊佐須美神社の由緒が事実を反映しているかは判りませんが、会津地方には4世紀後半に築造された東北地方第二位の規模である亀ヶ森古墳(全長127.3m、前方後円墳、国指定史跡)や4世紀末期に築造された東北地方第四位の規模である会津大塚山古墳(全長114m、前方後円墳、国指定史跡、三角縁神獣鏡を出土)が存在している事から、当時、国造級の力を持った豪族が当地域を領し伊佐須美神社を奉斎していた可能性があります。

会津大塚山古墳は三角縁神獣鏡だけでなく、畿内で制作されたものと推定される複数の副葬品が見つかっており、これが正しければ4世紀には何らかな形で大和王権の勢力が会津地方まで及んでいた事になり、伊佐須美神社、又は前身となる奉斎施設もこの頃に創建されたのかも知れません。

伊佐須美神社:動画

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