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 神社山門: 飯野八幡宮

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飯野八幡宮

飯野八幡宮(福島県いわき市平八幡小路)

飯野八幡宮(福島県いわき市平八幡小路)

【 概 要 】−飯野八幡宮は康平6年に源頼義によって創建された神社です。鎌倉時代に入ると伊賀光宗が地頭として入封し神官にも就任、伊賀氏の後裔は地名に因み飯野氏を名乗り代々神官を歴任しています。中世は長く当地を支配した岩城氏の崇敬社として社領の寄進や社殿の造営が行われ、江戸時代には歴代平藩の藩主が崇敬庇護しました。現在でも境内には江戸時代初期から中期にかけて建てられた社殿群が残されており、国指定重要文化財に指定されています。

【 場 所 】福島県いわき市平八幡小路

【 構 造 】−切妻、銅板葺、三間一戸、八脚楼門・平唐門、銅板葺き、一間一戸

【 備 考 】−飯野八幡宮の創建年には諸説ありますが平安時代後期頃に創建され、鎌倉時代初期に当地に遷座、伊賀光宗が鎮座地である好嶋荘が与えられ後裔が神官を務めたと伝えられています。伊賀光宗は鎌倉幕府の有力御家人で政所執事などの要職を歴任し、姉妹(伊賀の方)が2代執権北条義時の後室になるなど幕府中枢にも近い存在でした。元仁元年(1224)に義時が死去すると次期(第4代)征夷大将軍と目された藤原頼経と後継人の北条泰時を廃して、一条実雅と北条政村を擁立しようと画策、所謂「伊賀氏の変」を起こしましたが、発覚し光宗は信濃国、実雅は越前国に流罪となっています。 光宗は嘉禄元年(1225)に北条政子が死去すると復権、寛元2年(1244)には評定衆に就任し、「吾妻鏡」には乱に伊賀氏が関わったと記していない事から北条政子がでっち上げとの説もあります。光宗の最盛期には甲斐国岩間牧、常陸国塩籠荘、陸奥好島荘、若狭国日向浦、但馬国広谷荘、備前国則安名などを所領し後裔は岩城国好島荘西方預所職に就任している事から、飯野八幡宮の由緒に合致します。伊賀氏の後裔である飯野氏は室町時代に飯野郷の地頭として一定の勢力を保持していましたが、次第に飯野八幡宮の神官に落ち着いたようです。

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