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 神社山門: 田村大元神社

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田村大元神社

田村大元神社(福島県三春町山中)
【 概 要 】−現在の田村大元神社は永正元年(1504)に田村義顕が三春城に本拠を移した際に三春に遷座しました。坂上田村麻呂の後裔とされる田村氏が崇敬庇護し、江戸時代は三春藩主となった秋田氏が庇護しました。古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され田村大元神社となっています。境内には明王堂などの仏教色の強い建物は破却されましたが、仁王門は神社山門(金剛力士像安置)として残されています。

【 場 所 】−福島県田村郡三春町山中

【 構 造 】−入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−田村大元神社は延暦年間(782〜806年)に坂上田村麻呂により創建され、その後裔とされる田村氏が江戸時代に当地を離れるまで奉斎し続けたとされます。しかし、田村氏が坂上田村麻呂の直系の子孫かというとかなり疑問が残るところです。簡単に言えば、陸奥国田村郡を領した領主は地名に因み「田村」姓を名乗ったに過ぎず、平安時代までは坂上田村麻呂の関係者の後裔と思われる坂上氏系、南北朝時代までは藤原氏系(田村庄司氏)、室町時代以降は平氏系(三春田村氏)が田村姓を名乗り、正当性を主張する為にそれぞれが坂上田村麻呂の後裔として名跡を継いだ形式を継承したようです。坂上氏系、藤原氏系、平氏系は当然別系統な為、田村大元神社が3系統に奉斎され続けたとは考え難く、元々は平氏系田村氏の氏神か、本拠地に祭られていた地主神と考える方が自然と思われます。又、元々祭られていたという大元帥明王は承和7年(840)に小栗栖の常暁が栖霊寺の文祭から教えを受け日本に持ち帰った事からそもそも延暦年間(782〜806年)に坂上田村麻呂により祭られる事は不可能です。さらに言えば、大元帥明王は宮中だけで修される鎮護国家の大法「大元帥御修法」の本尊だった事から、勅許を得ないで、修法を行うことも、尊像を造顕したり奉置したりすることが禁じられ、そう言う意味でも朝廷の権力が失墜する鎌倉時代初期以前に他所で信仰される事は無いはずです。

平氏系田村氏は戦国時代に伊達政宗の策略により没落し、その後、伊達氏系として再興されるも、領地となった岩沼(宮城県岩沼市)や、一関(岩手県一関市)に田村大元神社が創建されていない事から祭神への執着や信仰心は全く見られません。

一方、江戸時代に三春藩主となった秋田氏は田村大元神社は篤く奉斎に領内の総鎮守に位置付けています。秋田氏は秋田の領主時代は古四王神社、赤神神社、日吉神社の三社を特別視してきましたが、三春藩時代には古四王神社以外は切り捨てています。古四王神社に祭られている大毘古命は、秋田氏が創作した家系図上(孝元天皇→大毘古命→阿部比羅夫→安倍貞任→安東氏→秋田氏)祖神にあたる為に引き続き祈願所として信仰を続けたと思います。本来ならば古四王神社が総鎮守として相応しいはずですが、実際三春藩領の農村部の支配層は田村家の一族や家臣達が帰農し庄屋や村役人などを担い一揆の温床になる可能性があった事から、あえて田村氏の崇敬社だった田村大元神社を総鎮守に据える事で領内融和を図ったのかも知れません。

福島県の神社山門
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