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 神社山門: 田村神社

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田村神社

田村神社(福島県郡山市)

田村神社(福島県郡山市)

【 概 要 】−田村神社は大同年間に鎮守将軍坂上田村麻呂によって創建された古社です。古くから神仏習合し、大元師明王と称していましたが、明治維新後の神仏分離令により仏教色が排除され田村神社に社号を改めています。境内には古建築が多く、中でも本殿は江戸時代初期に建てられた、神仏習合時代の名残を残す建物として貴重な事から福島県指定文化財に指定されています。又、松尾芭蕉が奥の細道の際に参拝に訪れた神社としても知られ、その時の様子を随行者である曽良が日記に残しています。

【 場 所 】−福島県郡山市田村町山中本郷

【 構 造 】−切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門・切妻、銅板葺き、単層門

【 備 考 】田村大元神社の項でも述べましたが、大元帥明王の信仰を日本にはじめて伝えたのは承和7年(840)とされ、坂上田村麻呂は弘仁2年(811)に死没している事から、大同年間に坂上田村麻呂が大元師明王を奉じて田村神社の前身となる鎮守山泰平寺を創建する事は不可能です。又、三春田村氏も平姓を称していた事から坂上田村麻呂の後裔とは言い難く、単に藤原姓系田村庄司氏の地盤である田村郡を支配するにあたり、正当性を主張する為に家系図を創作し、鎮守山泰平寺の奉斎を引き継いだ形を取ったとも考えられます。応永年間(1394〜1427年)に藤原姓田村庄司氏が没落したと目されていますが、すぐさま、居城である守山城に平姓三春田村氏が入った可能性は低く、逆に「御春の輩」と呼ばれていた事から最初から戦国時代に没落するまで通して三春が本拠地だったとも考えられます。もし、守山に本拠があり三春に移ったのであれば鎮守山泰平寺も随行したと思われますが、実際は大元帥明王の分霊が勧請されただけで、境内はそのまま維持されてます。これは、藤原姓系田村庄司氏と平姓三春田村氏は全く違う氏族で鎮守山泰平寺が藤原姓系田村庄司氏に対して筋を通したとも言えます。

天正18年(1590)の豊臣秀吉による奥州仕置きにより三春田村家は没落し会津領に組み込まれると、新たに領主となった蒲生氏、上杉氏、加藤氏から寺領安堵や寄進が行われ、その後は幕府から朱印地300石が安堵されています。さらに、寛文2年(1662)には幕府の命により二本松藩主丹羽光重により大元明王堂(現在の田村神社本殿)が再建、元禄13年(1700)に守山藩2万石が立藩すると歴代藩主が崇敬庇護しています。学頭だった善法院は17ヵ寺、別当だった帥継院は24ヶ寺を擁する大寺院に発展しましたが、明治時代の神仏分離令により廃寺に追い込まれ、鎮守山泰平寺は仏教色を廃して坂上田村麻呂を祭る田村神社に改めています。

福島県の神社山門
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