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 神社山門: 宇迦神社

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宇迦神社

宇迦神社(福島県東白川郡棚倉町)
【 概 要 】−宇迦神社は成務天皇の御代の塩伊野己自直により創建された古社です。当初は飯沼(今の大清水)に鎮座していましたが、神亀年間に飯野村(現福井)に遷座し、戦国時代に立花宗茂が赤館城を修築した際に現在地に遷座しました。江戸時代に入ると歴代棚倉藩主が崇敬庇護し社領の寄進や社殿の造営、石燈篭などの奉納、例祭の参拝などを行いました。本殿は元禄14年に内藤弐信によって再建されたもので貴重な建物です。

【 場 所 】−福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字風呂ケ沢地内

【 構 造 】−入母屋、鉄板葺、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−宇迦神社の中世以前の経緯は不詳で、由緒が正しければ、白河国造に就任した塩伊野己自直によって創建された事になります。宇迦神社の近くに鎮座している都々古別神社は陸奥国一宮とされますが、由緒には塩伊野己自直の名を見る事は出来ません。又、宇迦神社が領内惣産土神とするならば、延喜式神名帳に当然記載されているはずですが未記載で、所謂「六国史」にも記載されていません。

一方、民話によると岩城郡飯野村に住する農夫が神亀年間(724〜729年)西国巡礼を行った際に宇賀の明神の化身である白髪の老人に出会い、当地までお連れすると老人は白蛇に姿を変え当地の守護神になったと伝えられています。白髪の老人や白蛇は民話特有の言い回しですが上記のように式内社に掲載されていない事から宇迦神社は住民達の信仰により創建されたと考えた方が自然と思われます。

ただし、民話の西国巡礼と思われる西国三十三所霊場は15世紀半ば頃にようやく民衆化し東日本からも巡礼するようになったと考えられる為、民話の成立は室町時代以降という事になります。

南北朝時代に赤館城が築かれると旧境内地が城から見て北東に位置していた事から鬼門鎮守として注視されるようになった可能性があり、慶長8年(1603)に立花宗茂が1万石で棚倉藩を立藩し赤館城に入ると宇迦神社を現在地に遷座し篤く庇護した事で領内惣産土神としての地位を確立したような印象を受けます。

立花宗茂自身が稲荷神(宇賀の明神)を信仰していたのかは判りませんが、正室ァ干代姫は稲荷神を守護神として奉斎し、後に藩主となる柳川藩上・中・下三屋敷には何れも宗茂の母堂みほ姫の守護神だった太郎稲荷が鎮座し、棚倉藩から柳川藩に移封になると柳川城の場内に別当の金剛院誉を召喚し稲荷神社(稲荷山観音寺金剛院)を創建しています(ァ干代姫が立花家の当初の跡取りで、宗茂が婿養子として入った事から稲荷神が立花家の守護神という事になります)。

又、元和5年(1619)に稲荷神が棚倉に勧請したとの記録されている事から宇迦神社に合祀されている可能性があります。

以上の事から察すると宇迦神社が現在のように領内惣産土神になったのは立花宗茂が棚倉藩主になった際、立花家の守護神である稲荷神と宇賀の明神を同神として奉斎した事が大きな要因となり、それに相応しい由緒(白河国造塩伊野己自直が創建した。)が創作されたと思われます(勿論私論です)。

宇迦神社:動画

棚倉城(福島県棚倉町):動画

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