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 神社山門: 心清水八幡神社

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心清水八幡神社

心清水八幡神社(福島県会津坂下町塔寺松原)
【 概 要 】−心清水八幡神社は天喜3年に源頼義、源義家の親子により創建された神社です。河沼郡の総鎮守として歴代領主から崇敬庇護され、特に江戸時代には会津藩主松平家から会津五大社に定められ篤く帰依されました。翠山の山頂に設けられた本殿は江戸時代末期に建てられたもので会津藩が造営した最後の社殿建築とされます。社宝である「塔寺八幡宮長帳」と「銅製鰐口」は国指定重要文化財に指定されています。

【 場 所 】−福島県河沼郡会津坂下町塔寺松原

【 構 造 】−切妻、銅板葺、一間一戸

【 備 考 】−源頼義、源義家父子が創建したとの八幡神社は相当数ありますが、心清水八幡神社もその一社です。特に東北地方が顕著で、事実として平安時代後期に東北地方で発生した前九年合戦と後三年合戦に、前九年合戦では源頼義が陸奥守として俘囚長である安倍氏の反乱(朝廷側から見た場合)に対処し、義家も従軍しています。対して後三年合戦では源義家が父親と同様に陸奥守として出羽国の豪族である清原氏の内乱を鎮めています。当然、東北地方は前九年合戦以前は安倍氏など俘囚(形式上は朝廷に従った蝦夷)の影響力が強い地域で、安倍氏が滅んだ後は清原氏、後三年合戦後は清原氏の一族である奥州藤原氏が席巻した為、八幡神社が次々に創建されるような環境下ではありませんでした。源頼義、源義家も武家の棟梁として朝廷の武士を率いる立場でしたが、単独で乱を納める力も兵力も無く結局頭を下げ、他の俘囚や豪族の力を借りて対処している事からも東北地方では当時、尊敬するに値しない存在だったと思われます。それが一転したのは源頼朝が鎌倉幕府を成立させてからで、文治5年(1189)に奥州合戦により奥州藤原氏を滅亡させると、多くの御家人が東北地方に配され、領地の鎮守兼自らの保身の為に八幡神が祭られるようになったと思われます(江戸時代に各藩が徳川家の忠誠の証として領内に東照宮を創建した事に類似すると思われます)。そう考えると心清水八幡神社を創建したのは鎌倉時代成立前後に会津地方が与えられたとされる佐原義連かその一族、家臣によると考えた方が理にかなっています。その後も、佐原義連の後裔とされる芦名氏が強く心清水八幡神社と関わっていた事が当社に伝わる「塔寺八幡宮長帳」により明確に記されています。

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