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 神社山門: 涼ヶ岡八幡神社

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涼ヶ岡八幡神社

涼ヶ岡八幡神社(福島県相馬市)
【 概 要 】−涼ヶ岡八幡神社は大同年間に創建した古社で南北朝時代に北畠顕家の家臣である岩城宗広が改めて八幡神の分霊を勧請しました。戦国時代に入ると領主である相馬家の祈願所として庇護され、江戸時代以降も相馬家が中村藩を立藩し藩主を歴任した為、引き続き崇敬しました。

【 場 所 】福島県相馬市坪田涼ケ岡

【 構 造 】−入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−涼ヶ岡八幡神社の前身となった若宮八幡宮(現在は涼ヶ岡八幡神社の摂社)は平安時代初期の大同年間(806〜809年)に創建されたとされます。基本的に東北地方で八幡神が祭られるようになるのは鎌倉時代に入り奥州藤原氏が滅んで、源氏に従った御家人が守護や地頭として赴任した後なので当初から八幡神が祭られていた可能性は低いと思われます。当時の若宮八幡宮の規模は判りませんが、ある程度の信仰があったとしたら、文治5年(1189)の奥州合戦の功があった相馬氏が陸奥国行方郡を与えられた事から相馬氏が創建した可能性があり、全くの小社であれば集落の素朴な鎮守だったと思われます。事実上涼ヶ岡八幡神社を創建した結城宗広が南北朝時代に当地に配されると家臣である中村六郎広重が熊野堂城(現在の相馬市中野地区清水)を築いています。結城宗広は鎌倉幕府の有力御家人として信任されていましたが、後醍醐天皇が倒幕運動を起こすと積極的に参画し、その功により陸奥国の諸郡奉行に任ぜられ、事実上奥州を統括する立場となりました(白川結城家は源氏の血筋では無く、鎌倉幕府を裏切った立場だったので、何故、八幡神を祭ろうとしたのかは不詳)。延元2年/建武4年(1337)、中村広重は数万の兵を率いて熊野堂城に籠城し、北朝方の相馬氏を迎え討ちましたが、激戦むなしく落城しています。涼ヶ岡八幡神社が熊野堂合戦以前に創建されていたとしたら、その兵火で焼失したと思われますが詳細は不詳、南朝方が没落し相馬家の支配が確立すると相馬家の庇護となっています。

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