鑁阿寺(栃木県・足利市)概要: 鑁阿寺境内は源義康が設けた居館跡地で、後裔である足利義兼が鎌倉時代初期に持仏である大日如来像を居館内に祭る為に創建されました。その後、足利氏の氏寺として境内が整備され足利将軍家や鎌倉公房家などから篤く庇護され寺運も隆盛しました。江戸時代は源氏の一族とされる徳川将軍家から庇護され、寺領の安堵や多宝塔(足利家の大位牌と徳川家歴代将軍の位牌が安置・栃木県指定重要文化財)などの造営が行われました。境内には堀や土塁など居館当時の遺構が明確に残されている事から「足利氏宅跡」として国の史跡に指定され、日本100名城に選定されています。境内には本堂(国宝)他、鐘楼、経堂、楼門など数多くの堂宇が残され古寺の雰囲気が感じられます。鑁阿寺山門は建久7年(1196)に足利義兼により造営され、室町時代の兵火で焼失後、安土桃山時代の天正18年(1590)に再建されたもので、入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚楼門、外壁は真壁造り素木板張り、上層部には高欄付、下層部左右には仁王像(鎌倉時代作・栃木県指定重要文化財・※栃木県内で鎌倉時代の仁王像は鑁阿寺と医王寺のみで貴重な彫刻とされます。)安置、「金剛山」の山号額、三ツ斗組、正面には反橋(太鼓橋:安政年間建築、切妻、桟瓦葺き、桁行約7.8m、梁間約3.4m)、栃木県指定重要文化財に指定されています。
※ 当サイト「全国楼門建築」は資料や案内板、パンフレットなどを参考にして編纂していますが、個人的な意見も含まれている為、最終確認は自らの責任により最終確認してください。又、写真や文章のコピーは遠慮してください。
|