名 称 | 内 容 | 場 所 |
・高椅神社 | ○高椅神社は景行天皇の時代に東国平定の為に当地まで進軍した際、国常立尊、天鏡尊、天萬尊を祭る社を設けて創建されたと伝わる古社です。その後、日本武尊の家臣の一人、磐鹿六雁命が当地に留まり代々高椅神社の祭祀を司りました。格式も高く、平安時代中期に成立した延喜式神名帳にも式内社として記載されました。歴代領主となった結城家も篤く庇護し社領の寄進や社殿の造営が繰り返し行われています。現在の高椅神社神門は江戸時代中期に結城藩の藩主水野家から奉納されたもので、三間一戸、八脚楼門、栃木県指定文化財に指定されています。
○高椅神社の楼門写真はこちら | ・栃木県 ・小山市 |
・那須神社 | ○那須神社は4世紀に下野国造奈良別名によって創建されたと伝わる古社です。平安時代には陸奥の蝦夷攻略で当地を訪れた坂上田村麻呂が戦勝祈願した際に八幡神を勧請合祀しました。その後、当地の豪族だった那須家が氏神として崇敬庇護し、那須与一が平家の軍船に掲げられた扇の的を弓を射る瞬間に心の中で当社に祈願した事でも知られています。戦国時代から江戸時代にかけては那須家一族の後裔である大関氏から庇護され、社殿の営繕工事が随時行われています。那須神社神門は江戸時代初期に造営されたもので三間一戸、八脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。
○那須神社の楼門写真はこちら | ・栃木県 ・大田原市 |
・雲巌寺 | ○雲巌寺は平安時代後期に初叟元和尚により創建された古寺で、後嵯峨天皇第3皇子である仏国国師が当寺を訪れた際に高梨勝頼が臨済宗に改宗しました。以後、臨済宗寺院の拠点の一つとして大きく発展し禅宗の日本四大道場に数えられました。天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置きの際に豊臣家に従わなかった那須家を匿ったとの嫌疑がかけられ全山焼き討ちに逢っています。江戸時代には奥の細道の際中に松尾芭蕉も雲巌寺を訪れています。山門は江戸時代前期に建てられた建物で、三間一戸、八脚楼門、大田原市指定有形文化財。
○雲巌寺の楼門写真はこちら | ・栃木県 ・大田原市 |
・満願寺 | ○満願寺は奈良時代に日光を開山した勝道上人により創建された古寺です。平安時代には高僧として知られた弘法大師空海が本尊となる千手観世音菩薩を彫刻しています。中世は領主である足利氏の庇護となり、江戸時代には幕府から10万石の格式を賜り、寺領50石を安堵されています。山門は江戸時代中期に造営されたもので三間一戸、八脚楼門、栃木市指定有形文化財に指定されています。
○満願寺の楼門写真はこちら | ・栃木県 ・栃木市 |
・太平山神社 | ○太平山神社は垂仁天皇の時代に創建された古社で、平安時代には高僧として知られる慈覚大師円仁が当社を訪れ、祈祷により周辺の飢餓を救ったと伝えられています。室町時代には後小松天皇の崇敬篤く広く信仰を広げましたが戦国時代の兵火により多くの社殿が焼失し衰微しました。江戸時代に入ると徳川将軍家から朱印状が発布され再興を果たしています。神門は江戸時代中期に代将軍徳川吉宗によって寄進されたもので三間一戸、八脚楼門、栃木市指定文化財に指定されています。
○太平山神社の楼門写真はこちら | ・栃木県 ・栃木市 |
・木幡神社 | ○木幡神社は平安時代に当地まで進軍した坂上田村麻呂により創建された古社です。平安時代後期には藤原秀郷、源頼義、義家父子、塩谷惟頼が戦勝祈願を行っています。江戸時代に入ると幕府の庇護を受け社領200石が安堵されています。木幡神社神門は室町時代中期に造営されたもので、三間一戸、八脚楼門、国指定重要文化財に指定されています。
○木幡神社の楼門写真はこちら | ・栃木県 ・矢板市 |