二荒山神社(栃木県・日光市)概要: 二荒山神社が何時頃から信仰されたのかは判りませんが、古くから格式が高く平安時代に成立した歴史書に神階を授かった事が記載され、延喜式神名帳では名神大社として列記され下野国一宮に格付けられ(栃木県宇都宮市に鎮座する二荒山神社も同じく名神大社、下野国一宮を主張しています)、御神体として信仰される二荒山(男体山)は奈良時代に勝道上人が開山して以降、霊山として広く信仰されるようになったとされます。伝承によると勝道上人が日光で修行を重ねていた際、二荒山(男体山)の美しい山姿から霊気を感じ取り神護景雲元年(767)に現在の本宮神社の境内に祠を設けたのが前身で、延暦元年(782)に初めて二荒山(男体山)の山頂に登拝すると、山頂にも祠を設けたそうです。ただし、山頂からは古墳時代の遺物も発見されている事から、古代から霊山として自然崇拝の対象となり祭祀が行われていたと推定されています。何れにしてもその後は一大霊場として大きく発展し、戦国時代には小田原北条氏に与した為、豊臣政権下では辛酸を舐めましたが、日光東照宮が造営されると徳川将軍家、幕府、諸大名から信仰されるようになり社運も隆盛しました。明治時代の神仏分離令を経て国幣中社に列しています。神門は入母屋、銅瓦棒葺、一間一戸、四脚楼門。
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