木幡神社(栃木県矢板市): 楼門

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木幡神社(栃木県・矢板市)

木幡神社(栃木県・矢板市)概要: 木幡神社は平安時代に当地まで進軍した坂上田村麻呂により創建された古社です。伝承によると東国の蝦夷平定の際、坂上田村麻呂は日頃から信仰してた山城国宇治郡に鎮座する許波多神社で戦勝祈願を行い、蝦夷追悼の願が叶ったたならば新たに社を設ける事を約束しました。進軍した際には現在の境内背後の高台に陣を張り、平定を終え凱旋帰国する際にも同じ場所に陣を張りました。その地は四神相応の霊地で約束した社の境内には申し分ない場所だった事から許波多神社の分社を創建しました。その後、大同2年(807)に現在地に境内を移して改めて社殿が造営され、赤鶴の面が奉納、特に雨乞いに御利益があるとして信仰されました。平安時代後期には藤原秀郷、源頼義、義家父子、塩谷惟頼が戦勝祈願を行い、特に塩谷氏は長く木幡神社を庇護しました。江戸時代に入ると幕府の庇護を受け社領200石が安堵されています。木幡神社神門(楼門)は室町時代中期に造営されたもので、入母屋、銅板葺き(茅葺→木羽葺→銅板葺)、一間一戸、下層部桁行1間、梁間2間、上層部桁行3間、梁間2間、四脚楼門、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、木部朱塗り、上層部高欄付、神仏習合時代には仏教色が強い仁王像が下層部左右に安置されていましが、昭和36年(1961)に解体修理した際に仁王像が下宮に移され旧観に復しています(下宮には神仏習合時代に日光輪王寺から木幡神社に送られたと思われる金剛夜叉明王坐像も安置されています。金剛夜叉明王坐像は制作時期室町時代、木造、金箔貼仕上げ、像高141cm、栃木県指定文化財)。木幡神社神門は当時の楼門建築の遺構として貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。

※ 当サイト「全国楼門建築」は資料や案内板、パンフレットなどを参考にして編纂していますが、個人的な意見も含まれている為、最終確認は自らの責任により最終確認してください。又、写真や文章のコピーは遠慮してください。

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