邪馬台国を誤誘導させる女王国

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女王国

女王国・概要: 魏志倭人伝には「女王国」という単語が5カ所、対して「邪馬台国」という単語は1回しか出てきません。その他にも、女王国を彷彿させる単語は「女王」、「」、「倭国」、「倭地」、「卑弥呼」があり、使い分けているようにも、気まぐれとも、いい加減にも感じられる表現をし、魏志倭人伝が読む説く混乱の1つにもなっています。一つづつ確認してみます。

女王国

(1)−「東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐」

上記は魏志倭人伝の一文で、伊都国の概略を説明している内容です。ここで、いきなり「女王国」が出現しています(これより前に女王を示唆する文字はありません)。一般的には伊都国には国王が存在し、皆女王国が統属(統制のもとに属すること)していると訳されています。私論では伊都国には国王(女王)が存在し、尚且つ複数の国で構成される倭国の国王を兼務し、女王国の皆(21か国)を統属している、と考えています。別述していますが、女王国とは固有の国では無く、中国側が便宜上に付けたと推察される事から、便宜上に付けた国に伊都国の国王が統属されているのは大変不思議な訳となります。下記にもありますが、伊都国には「一大率」と呼ばれる検察監督機関が置かれ、女王国に属する国々に恐れられているという一文があり、上記のように魏の出先機関である帯方郡からの使者が滞在所が伊都国にある事からも、伊都国は女王国よりも上位に位置付けられている事が窺えます。

(2)−「自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳」

上記は魏志倭人伝の一文で、女王国から北側(朝鮮半島側)にある国々については大凡の戸数や道理(道順・距離)が記する事が出来るが、その他の国々については遠く離れている為に詳細(戸数・道順・距離)は判らない。と訳されます。

(3)−「自郡至女王國萬二千餘里」

上記は魏志倭人伝の一文で、自郡とは帯方郡と読み取れる為、帯方郡と女王国の国境とは1万2千里余離れている事が判ります。

(4)−「自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國於國中有如刺史」

上記は魏志倭人伝の一文で、女王国の北には検察機関である「一大率」を特別に置いて、諸国はこれに恐れています。常に伊都国が治めています。まるで中国にある「刺史」のようです。と訳されます。刺史は、地方の役職の事で地元で役人を採用すると、その土地の有力者と親密になり、法令順守・遵守が甘くなる為、中央政府が派遣した監察官で構成され、特定の治所を持たず領内を巡察し、時には行政権を掌握したそうです。素直に解釈すると女王国には「一大率」が1カ所しかなく、それが伊都国に置かれている事から、伊都国が女王国の中で特別な存在で北側に位置する事が窺えます。

(5)−「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種」

上記は魏志倭人伝の一文で、女王国の東側には海があり、それを渡って千里余りの場所にまた国があり、全て倭種です。と訳されます。素直に読むと、東側の海とは本州の下関市(山口県)と九州の北九州市(福岡県)を隔てる関門海峡で、本州又は四国に国があった事が窺えます。又、倭種とは倭人と同種の人種と考えられています。

邪馬台国との比較

それでは、女王国を邪馬台国に置き換えて検討してみます。(1)は一般的の訳に合わせると「伊都国には国王が存在し、皆(歴代伊都国王)邪馬台国が統属している」、私論に合わせると「伊都国には国王が存在し、邪馬台国の皆(21か国)を統属している」となります。この文章では女王国、邪馬台国どちらでも違和感なく意味が通りますが、歴代の伊都国の国王が邪馬台国に従っているとなると、前国王が没し倭国の大乱が起こった後に卑弥呼を擁立し邪馬台国が成立したという説は成り立たなくなり、少なくとも伊都国の国王数代分以上前から邪馬台国が成立し伊都国より上回っていた事になります。そうなると、少なくと西暦1世紀には既に成立し栄えていた事になり「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」の「祖国」とは邪馬台国を指す事となります。そうなると、倭国の極南海に位置した伊都国王が建武中元二年(57)に「漢委奴(イド)国王」の金印を賜った事や(伊都国の比定地である糸島市に鎮座する細石神社に伝わる伝承によると、社宝だった金印が江戸時代に盗難にあったと伝えられています。当時、金印を鑑定した福岡藩の藩校「甘棠館」館長亀井南冥の父親である聴因は細石神社のある恰土郡三雲村の出身だった事から、早くから金印の所在を知る立場にあり、南冥の名声を挙げる為に仕組まれたものという説もあります。志賀島の土中から発見された割には殆ど傷がついていないのは細石神社で大切に守られてきたのかも知れません。)、安帝永初元年(106)に生口百六十人を献上した倭國王(倭面土国王=倭伊都国王)帥升と被る事になり矛盾する事になります。又、畿内では3世紀以前の有力な弥生時代の遺跡が少ない事からこれも矛盾する事になります。この一文に関しては、やはり、私論のように伊都国の国王(女王)が倭国の国王を兼務し、女王国の皆(21か国)を統属していると訳した方が正しいと思われます。

(2)は女王国、邪馬台国どちらでも違和感なく意味が通りますが、少なくとも概要が判る、対馬国壱岐国末盧国・伊都国・不弥国奴国・投馬国は邪馬台国の北方に位置しなければなりません。

(3)は女王国、邪馬台国どちらでも違和感なく意味が通りますが、これにより帯方郡と邪馬台国との距離が1万2千里余と限定される事になります。帯方郡から1万4千9百里に位置する伊都国から放射式を採用すると水行10日、陸行1カ月、直線式を採用すると投馬国から水行10日、陸行1カ月で至ると記載されている為に大きな矛盾が生じます。

(4)は邪馬台国という存在がありながら、態々伊都国に「一大率」と呼ばれる検察監督機関が置かれるという矛盾が生じます。本来ならば、邪馬台国内部に設置させる必要性がある施設と考えるのが普通かと思います。逆に女王が伊都国に存在し、女王国に属する国々(21カ国)を統属していると解釈すると納得出来ると思います。又、伊都国に帯方郡の使者が常駐し、文書や賜物を改め、女王への問題が無いようにする事も極めて自然な行為と言えます。

(5)により、邪馬台国の東側には海が広がり、その対岸に倭種が住む国々があるとされる為、邪馬台国は九州東沿岸部に限定される事になります。しかし、上記のように邪馬台国と伊都国が接する事になり矛盾する事になります。

このように、女王国と邪馬台国を同義として読み進めると全てではないものの矛盾が生じる部分が出てきます。そして、邪馬台国がいかに矛盾した存在なのか改めて浮き彫りになると思われます。邪馬台国に全ての条件に当てはまる事は不可能で、逆に、邪馬台国が無くても倭国も倭も女王国も成り立つ構成となっています。

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