【高山市】−天正13年(1580)、飛騨国を平定した豊臣秀吉は侵攻に尽力した金森長近を飛騨3万8千石の領主として配しました。 長近は新たな居城として高山城を築城、同時に城下町も整備しました。金森氏は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで豊臣家を見限り徳川方に与した為、領地を安堵され引続き高山を支配しました。金森氏は元録5年(1692)に上山城(山形県上山市)に移封されるまで6代にわたり城主を歴任しこの間、基本的な町割が形成されました。金森氏が移封になると天領となり高山城が廃城となり天領陣屋が設けられものの町割は維持されました。現在でも随所に古い町屋が軒を連ね上一之町、上二之町、上三之町、片原町、神明町4丁目の各一部が「三町伝統的建造物群保存地区」、下一之町、下二之町、下三之町、八幡町、大新町1丁目、大新町2丁目、大新町3丁目、大新町4丁目の各一部 が「下二之町大新町伝統的建造物群保存地区」との名称で国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
【岩村町】−当地は古くから岩村城の城下町でしたが、戦国時代に入ると古くからの城主だった 遠山氏と武田氏、織田氏などが岩村城を廻り度々戦を繰り返した事で城下町も荒廃しました。織田信長の家臣河尻秀隆が岩村城の城主になると今まで城の北側にあった城下町を現在地である西側に町割し、岩村川右岸には武家屋敷、左岸には東西に伸びる街道沿いに町人町を設けました。江戸時代に入り岩村藩が立藩した後も当時の原型は踏襲され人口が増える毎に拡張されました。現在でも江戸時代に建てられた町家が数多く現存し良好な町並みを有しており恵那市岩村町本町2丁目および本町3丁目全域、本町1丁目、本町4丁目、本町5丁目、柳町、西町1丁目、西町2丁目、朝日町、新町1丁目、新町2丁目、の各一部、面積約14.6ヘクタールが平成10年(1998)に名称「岩村町岩村本通り伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成19年(2007)に財団法人古都保存財団による「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されています。
【美濃市】−美濃町は慶長10年(1605)、高山城(岐阜県高山市)の城主である金森長近が隠居城として 小倉山城を築きその城下町として成立しました。江戸時代に入ると上有知藩が立藩しましたが、慶長16年(1611)に2代藩主金森長光が跡継ぎが無く亡くなると美濃金森家は断絶し、上有知藩は廃藩、その後は尾張藩(愛知県名古屋市)が管理し、小倉山城の跡地には尾張藩の代官所が設けられました。美濃町は城下町で無くなった後も、街道の交差する交通の要衝、長良川舟運の拠点である上有知港の港町、美濃和紙生産の拠点として発展し、当地域を代表する商業都市となりました。美濃町の町屋の大きな特徴は「うだつ」と呼ばれる2階外壁の両側が屋根上部まで突き出た袖壁で、その袖壁上部にも小さな屋根がかかり特徴ある町並みを演出しています。基本的は隣家への類焼、防火が目的だったようですが、意匠や規模にも工夫が見られ次第に富の象徴として競いあい、「うだつがあがらない」の諺の起源になったとも言われています。現在でも古い町家が数多く残り中でも美濃市常盤町、相生町、本住町、泉町、約9.3ヘクタール内には良好な町並みを形成し平成11年(1999)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
【郡上市】−郡上八幡は戦国時代の永禄2年(1559)に遠藤盛数によって築かれた 郡上八幡城の城下町として発展しました。江戸時代に入ると郡上藩が立藩、3代藩主遠藤常友が八幡城を大改修し城下町も大規模に改変整備しました。八幡城の麓にある柳町と殿町は武家地、西側にある職人町、鍛冶屋町、本町と大手筋に町割された大手町は町人町として住み分けられました。豊富な水源地もあり町中には水路が張り巡らされ特徴ある町並みを形成しています。現在でも古い町並みが随所に残り郡上市八幡町大手町の全域並びに八幡町柳町、八幡町字一ノ平、職人町、鍛冶屋町、殿町、本町、桜町、桜町字一ノ平、小野字ヒツツリ、初音字代官町及び初音字惣門の各一部、面積約14.1ヘクタールが名称「郡上八幡北町伝統的建造物群保存地区」として平成24年(2012)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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