【上越市高田】−上越市高田は高田城の城下町です。中世以来、当地の中心施設は長尾氏、上杉氏の居城、春日山城でしたが、春日山城は山城だった為、防衛面では大変優れていたものの、行政や経済面から考えると非常に不利だった事から、上杉景勝が会津黒川城(福島県会津若松市)に移り、新たな領主となった堀秀治は平地で直江津港に近い福島城を築城、さらに慶長19年(1614)に松平忠輝が高田城を築きました。高田城は松平(長沢)家、酒井家、松平(越前)家、松平(越前)家、稲葉家、戸田家、松平(久松)家、榊原家が城主を歴任して明治維新を迎え、城下は高田藩の藩都として繁栄しました。現在は武家屋敷の目立った遺構は見られないものの、旧町人街には日本海側の町屋建築の大きな特徴の1つである「雁木」を持っている町屋が数多く残り良好な町並みを残しています。
【雁木】−「雁木」とは日本海側の町屋建築の1つで、現在で言う、商店街で見られるアーケードに良く似た形状で、新潟県とは異なり秋田県や青森県では「小店=こみせ」とも呼ばれています。採用目的も同様で、主に多雪により交通困難な冬場でも通行空間を確保する必要性から生まれた形式と思われます。その為、「雁木」は各敷地いっぱいに設けられ連続している事が求められ高田では総延長約16キロ(本町・大町・南本町・東本町・北本町・仲町・稲田など)にも及び日本一とも言われます。アーケードとの大きな違いは、アーケードが公共施設や、共用施設として建てられ、建てられる場所も道路や歩道など公道上に設けられていましたが、「雁木」はあくまで私有地に自費で建てられ個人により管理されています。その為、一間公共空間のように誰でも通行出来るものの、実際は私有地を利用させてもらっている事になります。雪深い雪国ならではの素晴らしい文化であるものの、現代的な思想とは異なり、維持管理も個人による事が多い事から、急速に「雁木」が失われているが現状です。雁木には大きく「造り込み式雁木造り」と「落とし式雁木づくり」の2つの形式があり、「造り込み式雁木造り」は道路側の1階部分を敷地内に引き込む形式で、断面的に見ると2階の外壁が敷地境界線で、引き込まれた分が歩行空間として他者に開放している事になります。「落とし式雁木づくり」は道路側の1階、2階の外壁を共に敷地内に引き込み、下屋庇を敷地境界線まで張り出す形式で、明治時代以降に急速に採用された比較的新しい形式です。高田城下では両方の形式を見る事が出来、「旧金津憲太郎桶店:造り込み式雁木造り」、「旧今井染物屋:造り込み式雁木造り」、「旧小妻屋(町家交流館高田小町:落とし式雁木づくり)」などが一般公開されています。
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