【嘉右衛門町】−嘉右衛門町は天正年間(1573〜1592年)に土豪から 当地に帰農した岡田嘉右衛門によって開発された町です。当地は古くから宇都宮城を居城とした宇都宮氏の家臣である皆川氏が支配してきましたが、慶長8年(1608)、当時の栃木城の城主皆川広照が飯山城(長野県飯山市)に移封になると栃木藩は廃藩、栃木城は廃城となっています。その後は榎本藩領、幕府領、武蔵岩槻藩領、幕府領となり、貞享2年(1685)からは旗本の畠山氏領となります。畠山氏は江戸定府だった為、領内陣屋は岡田邸内に設け、畠山の代官として代々岡田嘉右衛門家がその任を担いました。元和2年(1616)、徳川家康が駿府城(静岡県静岡市)で死去すると遺言により遺骸は久能山(現在の久能山東照宮)に葬られ、位牌は大樹寺(愛知県岡崎市)、 葬儀は増上寺(東京都港区)、御霊は日光(栃木県日光市:現在の日光東照宮)に祀られる事が定められました。正保3年(1646)には日光例幣使街道が整備され、毎年日光東照宮の例祭に合わせて朝廷から勅使(例幣使)が遣わされ幣帛が奉納されました。嘉右衛門町の前にも日光例幣使街道が通り、宿場町となった栃木宿の定助郷を勤める一方で経済的には栃木宿と同様に発展し、数多くの嘉右衛門商人を輩出し、度々栃木商人との間に争いになっています。現在でも街道沿いには古い町屋が建ち並び、良好な町並みが残っている東西約320m、南北約650m、泉町、嘉右衛門町、小平町、錦町及び昭和町の各一部、面積約9.6ヘクタールが選定基準「伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの」を満たしている事から名称「栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区」として平成24年(2012)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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