【近江八幡市】−近江八幡市は八幡城の城下町でした。 戦国時代、当地は京都と岐阜城(岐阜県岐阜市)の中間に位置する交通の要地、琵琶湖舟運の拠点として織田信長が安土城築城、安土は当時の為政者の城下町として繁栄しましたが、天正10年(1582)の本能寺の変で信長が倒れると天正13年(1583)に廃城となりました。同年、豊臣秀次が当地に配されると八幡城を築城、築城に際しては安土城の用材を利用したとされ城下町も安土から移しました。天正18年(1590)、秀次は小田原の役の功により尾張・伊勢100万石の太守となり、変わって京極高次が2万8千石で八幡城の城主として配されました。文禄4年(1595)、当時の城主である京極高次が大津城(滋賀県大津市)に移封となり八幡山城は廃城となりましたが、引続き琵琶湖舟運の拠点として城下町当時の町割が維持され、経済的な中心としてあり続けました。特に、八幡城の堀は琵琶湖から湖水を引き込んだ為、堀を利用して舟運船が城下まで入る事が出来た為、近江八幡には多くの物資が集積され数多くの近江商人を輩出し経済的にも大きく繁栄しました。現在でも新町筋、八幡堀周辺、永原町筋、日牟禮八幡宮境内地には数多くの町屋が良好な町並みを形成し面積13.1ヘクタールが平成3年(1991)に種別「商家町」、名称「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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