【足助宿・宿場町】−三州街道は信濃国と三河国を結ぶ大動脈の1つで、大名の参勤交代では利用されなかったものの、江戸時代中期以降庶民の経済活動が活発化すると、多くの人々が利用するようになりました。特に幕府の定めた正式の街道では無かった為、伝馬制度を採用せず「中馬」と呼ばれた民間の運送制度を採用した為、煩わしい手続きが無く料金も安価だった事から飛躍的に交通量が増えました。足助宿(愛知県豊田市)は、この三州街道の宿場町で特に物資の集積地、中継地として発展し、明治時代以降には数多くの金融機関も設けられました。現在も足助宿には良好な町屋建築が残る町並み景観が見られる事から重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
【有松宿・宿場町】−有松宿(愛知県名古屋市有松)は東海道の間宿として成立した町です。間宿とは、宿場町と隣接する宿場町との間の距離が長い場合、街道の利用者の利便性を向上させる為に設けられ町で、正式な宿場町では無かった為、本陣や脇本陣、旅籠などは幕府から認められませんでしたが、茶屋などの休息場が提供されました。有松宿は間宿の為に宿場での収益が見込めなかった事から、土地の代表者的存在だった竹田庄九郎が苦労の末「有松絞り」を考案し有松宿の名産として画策しました。この考えが功を奏し「有松絞り」は全国的にも名が知られるようになり一大産業に発展し、豊かな財力を有する商人も発生しました。現在でも有松宿には大型の町屋建築が残され、優良な町並みである事から名古屋市の街並み保存地区に指定されています。
【犬山城・城下町】−犬山城(愛知県犬山市)は室町時代に築かれた城郭で、戦略的要衝に位置してきた事から度々戦場となりました。江戸時代に入ると尾張藩に属し、家老級が犬山城主となり半自治権が認められていました。家老とはいっても3万石以上の大名級で城下町を取り囲むように数多くの家臣が住まう武家屋敷が配され、その内部に町人町が町割りされました。比較的大規模な近代化が成されなかった事から、伝統的な町屋建築が多数存在し、多くが国登録有形文化財に登録されています。又、犬山城には室町時代に築かれた日本最古の天守閣(外観3重、内部4階、付櫓付、望楼型天守)が残され国宝に指定されています。
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