高成寺(小浜市): 楼門

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高成寺(福井県・小浜市)

高成寺(福井県・小浜市)概要: 高成寺が何時頃から信仰を始めたのかは判りませんが、前身となる寺院は平安時代には既に存在し天台宗を宗旨としていたようです。南北朝時代に足利尊氏が、南北朝の動乱で犠牲になった人々の供養の為、全国各国一宇ずつ設けた安国寺に選定され若狭安国寺となりました。康永3年(1344)に火事により境内が荒廃すると当寺の若狭国守護職の大高重成が大年法延和尚(中国の元出身の臨済宗の高僧である竺仙梵僊の法嗣・夢窓疎石の「夢中問答集」を刊行。)を招き再興を図り、大「」重「」に因み「高成寺」と呼ばれるようになりました。歴代若狭国守護に庇護され寺運も隆盛しましたが、戦国時代に入ると度重なる兵火により被害を受け衰微し小浜で海運業を営み豪商として知られた古河屋孫兵衛が再興に尽力しています。江戸時代に入ると歴代小浜藩主の庇護により再び隆盛し、主に小浜藩の家老や上級家臣の菩提寺となりました。寺宝が多く、木造千手観音立像と紙本墨書印可状が国指定重要文化財に指定されています。山門は入母屋、桟瓦葺、三間三戸、八脚楼門、外壁は真壁造り素木板張り、上層部花頭窓、高欄付。若狭三十三観音霊場第21番礼所。

【 小浜西組 】−高成寺が境内を構える小浜西組は中世、若狭国守護所が設けられた後瀬山城の城下町でしたが、慶長6年(1601)に小浜藩の藩主である京極高次が北川と南川と小浜湾の三角州に藩庁、藩主居館となる小浜城を築城を開始し、寛永19年(1641)酒井忠勝の代に完成すると、小浜城の城下町として改変されました。小浜の地は日本海で採れた海産物や、日本海側の各地から集められた名産品を京都に運ぶ物資の集積地となった為、治世が安定し京都の人口が増えると、その需要が高まり、小浜城下も急速に拡大しました(小浜城下と京都を結ぶ街道は「鯖街道」の別称がありました)。それに伴い、貞享元年(1684)に城下町は東、中、西の3組に区分され当地は西組にとなり小浜西組と呼ばれる由来となっています。「小浜市小浜西組伝統的建造物群保存地区」に選定されている地区は南北約580m、東西約790m、面積約191.1haの範囲で東側が商家町(町人町・特に丹後街道の両側には有力商人が軒を連ねました)、西側が茶屋町(遊郭)、後瀬山麓と西端部(高成寺の境内はここに含まれます。)に寺町で構成されました。明治4年(1871)にはかなり詳しく地籍図が作成されましたが、現在も略同じ屋敷割が維持され、多くの建物は明治21年(1888)の大火後に建て替えられたものですが、伝統的な景観の雰囲気は十分に感じ取る事が出来ます。

※ 当サイト「全国楼門建築」は資料や案内板、パンフレットなどを参考にして編纂していますが、個人的な意見も含まれている為、最終確認は自らの責任により最終確認してください。又、写真や文章のコピーは遠慮してください。

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