徳賞寺: 楼門

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徳賞寺(福井県・美浜町)

徳賞寺(福井県・美浜町)概要: 徳賞寺は室町時代後期の天文年間(1532〜1555年)に祐和尚が設けた庵を前身とする寺院です。その後、永禄6年(1563)に国吉城(美浜町指定史跡)の城主粟屋勝久が開基となり盛景寺(福井県越前市春日野町)8世の機山祖全を招いて開山しています。国吉城は永禄6年(1563)から永禄12年(1569)まで越前守護職の朝倉家から度々猛攻を受けた事から、当初は戦死者の御霊を慰める為の施設だったと推察されます。徳賞寺の境内は国吉城の麓に位置し、粟屋家との関係性から国吉城が朝倉勢に攻撃を受ける度に大きな被害を受けていたと思われます。粟屋勝久は元亀元年(1570)の織田信長(安土城の城主)の朝倉攻めでは積極的に協力し、国吉城も織田方の拠点として利用され信長も国吉城に入城したとされます。天正10年(1582)の本能寺の変で信長が倒れると、勝久は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に従い、天正13年(1585)に死没すると徳賞寺には位牌が安置され境内に墓碑が建立されました。徳賞寺山門は江戸時代後期の天保12年(1841)に建てられたもので入母屋、桟瓦葺、一間一戸、四脚楼門、上層部は鐘撞堂、出入り口は花頭窓風、高欄付、「陽光山」の山号額が掲げられています。

徳賞寺:動画

国吉城:動画

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