満蔵寺: 楼門

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満蔵寺(岩手県・住田町)

満蔵寺(岩手県・住田町)概要: 満蔵寺が何時頃から開かれたのかは不詳ですが、中世当地を支配した世田米城の城主阿曽沼重範の菩提寺で満蔵庵と呼ばれていました。阿曽沼氏は足利有綱の4男広綱が下野国安蘇郡阿曽沼(現在の栃木県佐野市浅沼町)に配された際に地名に因み阿曽沼氏を名乗った事が始まりとされ、さらに広綱の2男親綱が遠野十二郷が与えられました。その後、後裔が遠野郷に土着し土豪となり長く当地を支配しました(天正18年:1590年の小田原の陣で豊臣秀吉に謁見を果たせなかった為に大名家としては認められず、その後は盛岡藩主南部家の家臣として存続した)。阿曽沼重範はその一族で、昭和に入り満蔵寺に合併した杉月山新城院も一族である阿曽沼広長の菩提寺とされます。満蔵寺山門は文化11年(1814)の火災で焼失後の元治元年(1864)に造営されたもので三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、外壁は真壁造り素木板張り、上層部には高欄が廻り、花頭窓付、下層部左右には仁王像安置、大工棟梁は気仙大工である松田大五郎が担当しています。住田町は気仙大工発祥地とも云われ、江戸時代末期の気仙大工による楼門建築の遺構として貴重な存在です。気仙三十三観音霊場第14番札所。

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