蕃松院(長野県・佐久市)概要: 蕃松院が何時頃から信仰されていたのかは判りませんが、戦国時代には既に存在し、武田家の庇護になっていました。天正8年(1580)、戦火で被害を受けた境内を儀山げん孝大和尚が再興し、曹洞宗に改宗、さらに、天正11年(1583)に小諸城(長野県小諸市)の城主松平康国が父親(依田信蕃:岩尾城攻略の際、城主である大井行吉の猛攻により討死。)の菩提寺として戒名に因み寺号を「蕃松院」に改めています。江戸時代に入ると、当地は奥殿藩の飛地だった為、藩主大給松平家の庇護となり、歴代大給松平家の位牌が安置、江戸時代末期には藩庁を奥殿から龍岡城五稜郭(長野県佐久市)に移した為、事実上の菩提寺となっています。蕃松院山門は新井良音大和尚の発願により明治時代初期に造営された建物で、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き(下屋庇:桟瓦葺き)、八脚2重楼門外壁は真壁造り素木板張り、上層部高欄付、下層部仁王像安置されています。本堂は寛政2年(1790)に落雷により火災が発生し焼失後の、文政5年(1822)に再建された建物で、本尊となる釈迦如来像や信蕃の位牌などが安置されています。境内には信蕃夫妻の墓所とされる墓石塔が残されています。
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