長野県の楼門建築1

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名 称
内   容
場  所
・善光寺○善光寺は推古10年(602)に本多善光が難波の津に漂着された「善光寺式阿弥陀三尊」を得て、信州麻績の里(長野県飯田市:現在の元善光寺)にある生家に祭ったのを起源としています。皇極天皇元年(642)に現在地近くに本尊が遷され大規模な堂宇が造営されました。歴代為政者、領主、周辺大名などから帰依を受け、名立たる大名が善光寺の本尊を巡り奔走しています。特に武田信玄は居城である武田氏館(躑躅ヶ崎館)の城下町に甲斐善光寺を創建し本尊を向かえ、武田家が滅びると織田家、徳川家、豊臣家と所有が移っています。江戸時代に入ると再び長野善光寺に戻され、幕府や領主である松代藩(長野県長野市松代町:本城−松代城)の藩主真田家の庇護となっています。山門は寛延3年に造営されたもので、五間三戸、入母屋、とち葺、2重楼門、国指定重要文化財に指定されています。

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・正満寺○正満寺は弘治2年(1556)、綿内周辺を支配した井上信満が嫡男である井上正満の死を悼み創建した寺院です。綿内井上氏の菩提寺と庇護されていたと思われますが、戦国時代末期には上杉景勝の会津移封に伴い井上氏は当地を離れています。江戸時代に入ると徳川将軍家の菩提寺増上寺の住職を担った倫誉念海や慧旭等の高僧を輩出しています。山門は元禄17年(1704)に造営されたもので、一間一戸、入母屋、桟瓦葺き、四脚鐘楼門、長野市指定文化財に指定されています。

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・長野県
・長野市
・牛伏寺○牛伏寺は聖徳太子が十一面観音を勧請し創建されたと伝わる寺院です。寺号は天平勝宝7年(755)に唐(中国)からの使者が善光寺(長野県長野市)に向う際、当地で2頭のせたまま動かなくなった事に由来しているとされます。信濃三十三番中第27番札所。信州筑摩三十三カ所観音霊場第9番札所。山門は享保11年(1726)に建てられた建物で、三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門、松本市指定文化財に指定されています。

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・松本市
・金松寺○金松寺は戦国時代の兵火で荒廃した後に武田信玄により再興された曹洞宗の名刹です。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、鐘楼門。

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・松本市
・見宗寺○見宗寺は永禄年間に開かれた浄土宗の寺院です。戦艦大和艦長有賀幸作中将の菩提寺で境内には墓碑が建立されています。山門は享保4年(1719)に建てられたもので三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、棟梁は地元(平出)出身の名工として知られた平泉伝左衛門(建仁寺流)、辰野町指定有形文化財に指定されています。

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・長野県
・辰野町
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