玄照寺: 楼門

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玄照寺(長野県・小布施町)

玄照寺(長野県・小布施町)概要: 玄照寺の前身である随光寺(臨済宗)が何時頃から信仰されていたのかは判りませんが、戦国時代には既に荒れ果てていたようです。天正年間(1573〜1591年)に高坂弾正虎綱(武田家の家臣)の家臣である加藤杢右エ門が明徳寺(長野県長野市松代町豊栄:曹洞宗・春日虎綱菩提寺)3世為岸慶祐和尚を招いて再興した際、曹洞宗に改宗し寺号を「玄照寺」に改められています。元禄17年(1704)に現在地に境内を遷し、宝暦8年(1758)と明治29年(1896)に火災で焼失しその後随時諸堂が再建されています。江戸時代後期の文政年間(1818〜1830年)には亀田鵬齋(文人番付では、最高位である東の大関・越後の名僧良寛と親交)をはじめ数多くの文人墨客が訪れています。玄照寺山門(三門)は江戸時代後期の寛政11年(1799)に造営したもので、三間一戸、入母屋、桟瓦葺(下屋庇:桟瓦葺き)、八脚二重楼門、桁行3間、梁間2間、外壁は真壁造り板張り、上層部高欄付、下層部の開口は花頭風、内部には正徳5年(1715)に制作された仁王像安置、「第一義」の扁額、小布施町指定文化財に指定されています。北信濃十三仏霊場第2番札所。

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