自成寺(長野県・佐久穂町)概要: 自成寺は永正3年(1506)、勝見城の城主だったと思われる伴野自成が最乗寺(神奈川県南足柄市)の僧である俊庵麟英和尚を招いて創建した曹洞宗の寺院です。一方、当地に伝わる伝説によると自成寺の北方の山にある「血ボチの池」に度々化物(不条理に殺され血ボチの池に投げ捨てられた恨みにより成仏出来なかった小僧)が出現し悪さをするので、俊庵麟英和尚が御経を唱えてこれを鎮めると、この霊力に感銘を受けた住民が自成寺の住職として迎え入れた(又は開山した)と伝えられています。甲斐武田家が篤く帰依し、永禄4年(1561)には武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)が陣鐘(佐久穂町指定有形文化財)を寄進し、本堂には武田家3代の位牌が祭られています。自成寺山門は江戸時代中期の元禄11年(1698)に造営されたもので、三間一戸、入母屋、鉄板葺、八脚楼門、桁行7.5m、梁間4.6m、外壁は真壁造り素木板張り、上層部内部には中尊を観音菩薩像、脇侍を十六羅漢像として安置、高欄付、下層部には仁王像(昭和60年:1985年制作)安置、棟梁は西上州甘楽郡本宿村出身の東間庄兵衛正忠、江戸時代中期の楼門建築の遺構として貴重な事から佐久穂町指定有形文化財に指定されています。
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