倭国の国譲り神話(私論)

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国譲り神話(大国主神話)

国譲り神話(私論)・概要: 一般的な国譲り神話には多くの疑問があります

(1)−神話の舞台になったはずの出雲国風土記には国譲り神話と大国主神話が掲載されていない。

(2)−そもそも葦原中国とは?

(3)−何故、天孫降臨が葦原中国(出雲)で行われなかったのか?

(4)−何故、国譲りの後に、神武東征が行われたのか?

(1)の答え−出雲で行われた「国譲り」とは一般的に、出雲国の国王である大国主命が、大和朝廷に対して、出雲国を話し合いにより譲渡し、その条件として出雲大社が創建されたとされます。しかし、出雲国がいくら強大だったにしても、一つの国の国王がこれ程までに持ち上げるのは大変疑問を感じます。そこで、大国主命が九州倭国を掌握した奴国の国王で、大和倭国に対して、中国から認められた「倭王」の称号を譲渡したと仮定しました。倭王の称号が力によって奪い取ったものならば、正当性が失われ、譲渡した側(奴国)にも最大限に感謝の意を示す事で体裁を整えたのではないでしょうか。因みに大国主命の別名が大己貴命(オオナムチ)、大奴ムチ(ムチ=ミコトより古い尊称語)と読み替える事が出来、奴国の国王だった事が窺えます。以上の事から、国譲りは九州北部で行われた為、出雲国風土記に記載されなかったと思われます。

(2)の答え−上記から葦原中国とは九州(奴国系)倭国という事が推察されます。

(3)の答え−天孫降臨は南九州説や北九州説がありますが、何れも葦原中国にある為に大きな矛盾はありません。しかし、国譲りが九州北部で行われたとなると、大和倭国の正当性が邪推される為、大国主命の移封先である出雲で行われたと改変し、大きなズレを生じました。

(4)の答え−こちらも大和倭国の正当性を主張する為です。神武天皇が正当な倭(国)王となってから、東征が行われるという筋書きが必要だったと思われます。これが無ければ、単なる侵略者となってしまいます。

国譲りの際、九州(奴国系)倭国の国王は大国主命、大和倭国の天皇は仲哀天皇にあたります。仲哀天皇の后は神功皇后で、「日本書紀」には卑弥呼と壱与の2人分の事跡が注釈で入れられ、神功皇后は暗にその2人であるかのように表現されています。又、卑弥呼は天照大神、壱与は豊受大神に想定したとすると、大国主命と天照大神の間で「国譲り」が行われた事になります。仲哀天皇と神功皇后の御子である応神天皇(宇佐八幡神)が九州で出産され、結果的に大和へ遷った事となり、神武東征をダブらせるようにしています。この一場面で登場する、卑弥呼は天照大神として伊勢神宮内宮、壱与は豊受大神として伊勢神宮外宮、応神天皇は八幡神として宇佐八幡宮、大国主命は出雲大社にそれぞれ祭られ、現在でも天皇家から特別な信仰を受けています。

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