倭地・概要: 魏志倭人伝には「女王国」という単語が5カ所、対して「邪馬台国」という単語は1回しか出てきません。その他にも、女王国を彷彿させる単語は「女王」、「倭」、「倭国」、「倭地」、「卑弥呼」があり、使い分けているようにも、気まぐれとも、いい加減にも感じられる表現をし、魏志倭人伝が読む説く混乱の1つにもなっています。一つづつ確認してみます。
倭地
「倭地温暖」
上記は魏志倭人伝の一文で、倭は温暖な土地柄だと訳されます。
「参問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里」
上記は魏志倭人伝の一文で、倭地を実際に尋ねると、海上に多くの島々が点在し、離れたり、連なったりし、周旋すると5千里余りとなります。と訳されます。周旋とは「売買・交渉などで、当事者間に立って世話をすること。とりもち。なかだち。斡旋。事をとり行うために動きまわること。めぐりあるくこと。」の意味がある事から、倭国の国々を巡りながら端から端までの距離を表していると思われます。具体的には狗邪韓国⇔対馬国:千里+対馬国:800里+対馬国⇔壱岐国:千里+壱岐国:600里+壱岐国⇔末盧国:千里+末盧国⇔伊都国:5百里+伊都国⇔不弥国又は奴国:百里=5千里。となります。畿内説を採用すると、西日本全てを賄う事となり成立しない事が判ります。又、九州説でも本土で概要が判る国は末盧国・伊都国・不弥国・奴国の4カ国しかなく(4カ国以外は不案内、当然、九州全周の距離が判るはずもない)、周旋5千里には全く足りません。邪馬台国と投馬国にいたっては周旋5千里から大きく外れる事になり存在が疑われます。
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