国々・概要: 魏志倭人伝には「女王国」という単語が5カ所、対して「邪馬台国」という単語は1回しか出てきません。その他にも、女王国を彷彿させる単語は「女王」、「倭」、「倭国」、「倭地」、「卑弥呼」があり、使い分けているようにも、気まぐれとも、いい加減にも感じられる表現をし、魏志倭人伝が読む説く混乱の1つにもなっています。一つづつ確認してみます。詳細はこちら「女王国」、「女王」、「倭」、「倭国」、「倭地」、「卑弥呼」。下記は簡単にまとめたものです。
女王国・5カ所
・ 女王国の国々は伊都国の国王に統属(統制のもとに属すること)されている。
・ 女王国の北に位置する国々は大凡の概要が判るが、その他の国々は判らない。
・ 女王国の国境は帯方郡から1万2千里離れている。
・ 女王国の国々は女王国の北方に位置する伊都国に置かれた「一大率」と呼ばれる検察監督機関を恐れている。
・ 女王国の東方には海があり、それを渡って千里余りの場所にまた国があり、全て倭種が住んでいます。
女王・2カ所
・ 「斯馬国」、「己百支国」、「伊邪国」、「都支国」、「弥奴国」、「好古都国」、「不呼国」、「姐奴国」、「対蘇国」、「蘇奴国」、「呼邑国」、「華奴蘇奴国」、「鬼国」、「為吾国」、「鬼奴国」、「邪馬国」、「躬臣国」、「巴利国」、「支惟国」、「,烏好国」、「奴国」、以上21か国が女王の権力が及ぶ限界である。
・ 倭の女王卑弥呼は、狗奴国の男王卑弥弓呼と仲が悪く、交戦の状況を帯方郡に伝え詔書と黄幢を賜う。
倭・6カ所
・ 帯方郡から7千里の位置に倭の北岸である「狗邪韓国」に到着します。
・ 倭には水人が住んでいて水に潜って魚や蛤貝を捕獲している。
・ 景初2年(238)6月に倭の女王が大夫を派遣して帯方郡を通じて洛陽にその旨を送りました。
・ 同年(238年)に詔書が倭の女王に発給されています。
・ 倭の女王卑弥呼は、狗奴国の男王卑弥弓呼と仲が悪く、交戦の状況を帯方郡に伝え詔書と黄幢を賜う。
・ 壱与は、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等20人を、張政等が帰国の際の見送りさせました。
倭国・3カ所
・ その国の男王が在位70〜80年も経つと倭国は混乱し、長い間お互いが攻め合いました。
・ 正始元年(240)、太守弓遵から詔書・印綬を梯儁に預けて倭国に送っています。
・ 派遣さえた施設が倭国に到着すると倭王にあって詔書、黄金、絹類、刀、鏡、采物を与えています。
倭地・2カ所
・ 倭地は温暖な気候です。
・ 倭地を周旋すると5千里余りとなります。
卑弥呼・4カ所
・ 新たに倭国の王となった女子の名前は卑弥呼である。
・ 景初2年(238)に天子から親魏倭王卑弥呼に制詔されています。
・ 倭の女王卑弥呼は、狗奴国の男王卑弥弓呼と仲が悪るい。
・ 卑弥呼が死ぬと大きな塚が造られた。
間違い易い名称の定義
「倭」−倭人が住んでいる全域(倭国・女王国・狗奴国)。卑弥呼は「倭国王」では無く、「倭王」、又は、「倭の女王」として表現され、狗奴国が従わないものの倭人が住む全域の王として中国(魏)の天子から認められたという事。
「倭国」−倭を構成する国の1つ。倭の北岸から、倭国極南界(海)の間にある、狗邪韓国・対馬国・壱岐国・末盧国・伊都国・不弥国の6カ国で構成されていた。伊都国が首都的存在で、伊都国王(倭国)は女王国の国々21カ国を指導出来る立場にいた。
「倭地」−周旋すると5千里余りという距離から倭国の地と推定されます。
「王」−狗奴国以外の単独の「王」は倭国(伊都国)の国王と思われます。卑弥呼が就任した際には「王」、中国(魏)に「親魏倭王卑弥呼」に制詔されてからは「倭王」又は「倭の女王」。卑弥呼の宗女である壱与は「王」である事から倭国(伊都国)の国王で、中国(魏)からは「倭王」として認められていなかったと思われます。
「女王」−卑弥呼、壱与。
「女王国」−女王の主権が及ぶ地域にある国、女王は倭国王でもある為、倭国(狗邪韓国・対馬国・壱岐国・末盧国・伊都国・不弥国)以外の、斯馬国・己百支国・伊邪国・都支国・弥奴国・好古都国・不呼国・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・,烏好国・奴国、以上、21カ国を指します。前文で、道順や距離が判らないと記されている事から、この順番が何を意味するのかは不詳。私論では最後に最大の戸数を有する「奴国」になっている事から、「奴国」は最後まで女王に抵抗したとも考えられます。
「邪馬台国」−邪馬台国は「倭国」でも、「女王国」でもない。矛盾に満ちた架空の国。
「投馬国」−投馬国は「倭国」でも、「女王国」でもない。矛盾に満ちた架空の国。
「狗奴国」−女王に従わない国。
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