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 神社山門: 粟嶋神社

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粟嶋神社

粟嶋神社(鳥取県米子市彦名町)
【 概 要 】−粟嶋神社の境内地である「粟嶋」は伯耆風土記逸文でも記載されている由緒ある場所で、「米子」の地名の由来にもなったとも云われています。神功皇后や後醍醐天皇なども参拝に訪れ、江戸時代には歴代鳥取藩主から庇護されました。又、名勝、景勝地としても知られ「粟嶋秋月」として米子八景にも数えられ、米子市指定名勝に指定されています。境内一帯は古来からの自然環境が残され鳥取県指定天然記念物に指定されています。

【 場 所 】−鳥取県米子市彦名町

【 構 造 】−切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−社号にあるように、当地は中海に浮かぶ孤島で、秀麗な山容だった事から古代から信仰の対象になったと思われます。嶋の山麓には「静の岩屋」と呼ばれる洞窟があり八百比丘尼の伝説の地となっています。八百比丘尼の伝説は全国各地で見られ、一般的には食すと不老不死になるとされる人魚の肉を誤って食してしまい、800歳まで尼として生活するという内容で、当地も略同じような伝説となっています。案内板を参考にすると次のような伝説です。昔、この浜辺には十数軒の漁村があり皆、粟嶋神社の氏子で毎月1回行われる「講」に参加していました。ある年、見知らぬ男が出現し村で1年程暮らした頃、その男は日頃の御礼として講の仲間を誘い船に乗せると急に霧が立ち込め、霧が晴れるとまるで竜宮城のような場所に着岸しました。御殿では毎日のように宴会が行われ、数日後帰宅の際には人魚の肉を御土産として渡されました。多くの漁師は気味悪がって捨てましたが、一人の漁師が持ち帰り、18歳の娘が興味本位に食してしまいました。すると、何年経っても年を取らず若い姿のままだった為、次第に人目を避けるようになり、ついに尼となり粟嶋神社のある粟島の洞窟で生活するようになったそうです。彼女が息を引き取ったのは800歳の時で、村人は憐れんで祠を設け長寿に御利益がある「八百姫さん」として供養し続けたと伝えられています。

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