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 神社山門: 富長神社

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富長神社

富長神社(鳥取県西伯郡大山町)
【 概 要 】−富長神社は何時頃から祀られてきたのかは判りませんが、当地域の鎮守として信仰されてきました。境内は南北朝時代に南朝の主要な武将だった名和氏の家臣とされる荒松氏の居城富長城跡で戦国時代に落城し廃城になるまで当地の拠点として機能していました。明治時代以前は龍王大明神と呼ばれていましたが、神仏分離令により現在の社号である「富長神社」に改めています。

【 場 所 】−鳥取県西伯郡大山町富長

【 構 造 】−切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−富長城の築城年は不詳で、一説には元寇と呼ばれる文永の役(文永11年:1274年)、弘安の役(弘安4年:1281年)の際に防塁や拠点として築かれたとも云われています。鎌倉幕府倒幕運動から建武の新政頃には後醍醐天皇の忠臣として知られる名和長年に従った荒松兵庫が城主だったとされ、船上山の戦いでは拠点として利用されたそうです。名和氏、荒松氏が没落すると廃城になったと思われるが、戦国時代になると伯耆国汗入郡宇多河荘(現在の米子市淀江町福頼付近)を本拠とする国人領主である福頼氏の一族と思われる福頼左衛門尉が城主となっています。大永4年(1524)に尼子経久が伯耆地方に侵攻すると、その兵火により富長城は落城し福頼氏は没落したと思われます。又、時代背景や所属不明の駒井刑部が陣屋を設けたとされ、馬屋や馬飼場もあったとも云われています。富長城、又は駒井刑部の陣屋が廃された後に当社が遷座したと思われ、江戸時代初期には他所から社殿を移築して境内として整備しています。

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