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 神社山門: 田内神社

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田内神社

田内神社(鳥取県倉吉市巌城)
【 概 要 】−田内神社は南北朝時代に伯耆守護を担っていた山名時氏により創建された神社です。境内一円は伯耆国の守護所である田内城の城域だった事からも山名氏の崇敬が篤かったと思われます。一方、境内周辺は天神川と小鴨川が削った事により岩壁が露わになり自然崇拝の対象に相応しい場所で、近くには「南無阿弥陀佛」との文字が刻まれています。又、城下町も伯耆国の中心地として大きく栄えましたが守護所が打吹城に移ると衰退し、当地区の鎮守として信仰されました。社叢は「田内神社の森」として倉吉市指定の保存林に指定されています。

【 場 所 】−鳥取県倉吉市巌城字宮ノ前

【 構 造 】−切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−田内城が伯耆国の守護所だったのは建武4年(1337)から延文年間(1356〜1361年)に打吹城を築き、そちらに遷したまでで、その後田内城は廃城になったと思われます。戦国時代になると打吹城の支城として戦力的に重要視され再び城郭として整備されたようで、城下町は見日千軒と詠われる程に繁栄しましたが、天文13年(1544)に天神川と小鴨川が氾濫を起こし城下町は大破しています。その間、田内神社がどの様な経緯を辿ったのかは判りませんが引き続き当地の鎮守として信仰され続け、本殿は増改築や屋根の葺き替え工事が複数回行われ、その内の1回の棟板には「享和二年日逢山天神奉祭」と筆されているそうです。又、正徳4年(1714)には当社近くの岩壁に釈迦堂が建立されています。

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