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 神社山門: 大神山神社奥宮

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大神山神社奥宮

大神山神社奥宮(鳥取県西伯郡大山町)
【 概 要 】−大神山神社奥宮は養老2年に俊方と名乗る人物によって創建された神社です。創建時には寺院でしたが、境内地である大山は古くから霊山として信仰の対象になっていた事から、大山を御神体とする神仏習合の信仰形態となりました。格式が高く、平安時代中期に成立した延喜式神名帳では式内社として記載され伯耆國二宮に格付けされ最盛期には100余ヵ寺の末寺、支院を擁する大寺院(大社)となり大きく発展しました。戦国時代に入ると領主となった尼子氏や毛利氏、江戸時代には鳥取藩主である池田家が崇敬庇護し、社領の寄進や社殿の造営が繰り返されました。明治時代の神仏分離により大智明権現から現在の社号である大神山神社に改称し国幣小社に列格しました。

【 場 所 】−鳥取県西伯郡大山町大山

【 構 造 】−入母屋、檜皮葺き、一間一戸、四脚門、軒唐破風、鳥取県指定保護文化財

【 備 考 】−大山は中国地方の最高峰で、秀麗な山容から古代人の素朴な信仰の対象になったと思われます。奈良時代に編纂された「出雲国風土記」に火神岳(大神岳)として国引き神話の舞台の1つになっている事から、当時の信仰施設の有無は判らないものの、注視する存在だった事が推察されます。その後、山中の奇岩怪石を磐座に見立てた遥拝所、やがて山頂付近にも祠が設けられるようになったようです。一方、中腹には後に大山寺と呼ばれる修験僧の集団が拠点を設け独自に大山の神を奉斎するようになり神仏習合の形態を成立させ、山頂部の社を冬宮、中腹部の社を夏宮という体制が整えられました。

しかし、冬宮の方は祭祀を行うのが余りにも不便だった為、神職や社僧は麓である大神谷(現在の伯耆町丸山地内)に下りて改めて社を構えたのが現在の大神山神社の本社とされ、引き続き大山寺の管理下にあった中腹の社は現在の奥宮となっています。奥宮の成立時期は判りませんが平安時代末期の12世紀初頭頃に成立したと思われる「今昔物語(巻第十四、第十八)」に僧侶である明蓮が伯耆国大山に詣でた際に「彼ノ権現ハ地蔵菩薩ノ垂迹大智明権現ト申ス」と述べた事が記載されてるから少なくとも当時には知られた存在だった事が窺えます。その後は奥宮は大智明権現として仏教色の強い存在として、麓の本社とは異なる発展を遂げ殆ど関係が無い状態となりましたが、明治時代の神仏分離令により大山寺は廃寺となり、大智明権現は大神山神社に改められ、往時の本社との関係を復するようになっています。

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