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 神社山門: 名和神社

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名和神社

名和神社(鳥取県大山町)
【 概 要 】−名和神社は江戸時代初期に南朝方の有力武将だった名和長年を祭る祠を旧名和邸跡に設けて創建した神社です。鳥取藩主池田家も崇敬し、近くに鎮座していた山王権現の境内に遷座し正式に祭られるようになりました。明治時代に入ると、建武の新政、南北朝動乱で南朝方に味方した貴族や武将などを祭る神社を最大限に尊重した事から別格官幣社に格付けされました。

【 場 所 】−鳥取県西伯郡大山町名和

【 構 造 】−切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−名和長年の出生は不詳ですが、当時は海運業で富を成す実力者として当地域に大きな影響力があったと思われます。鎌倉時代末期の元弘元年(1331)に倒幕運動の1つ元弘の乱が発生すると首謀者の後醍醐天皇が捕縛され隠岐島に配流、元弘3年(1333)に後醍醐天皇が密かに隠岐島を脱出すると長年が保護し、幕府との船上山の戦いで勝利に導きます。その後は後醍醐天皇を護衛しながら上洛、この大功により伯耆守に就任しています。建武の新政では要職を歴任し特に東市正に任ぜられると京都の経済を掌握する立場となり、不穏分子である護良親王を捕縛するなどの活躍を見せています。しかし、建武3年(1336)に足利尊氏との戦いに敗北し京都大宮、又は三条猪熊で討死しています。名和神社のように明治維新後に政府から篤く庇護を受けた別格官幣社には北畠一族を祭った霊山神社(福島県伊達市)や新田義貞を祭った藤島神社(福井県福井市)、北畠顕能を祭った北畠神社(北畠顕能)、楠木正成を祭った湊川神社(兵庫県神戸市中央区)などがあり、特に鎌倉幕府倒幕や建武の新政、南北朝争乱での南朝方として尽力した人物を祭る神社を「建武中興十五社」と称しています。

鳥取県の神社山門
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