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 神社山門: 御湯神社

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御湯神社

御湯神社(岩美郡岩美町)
【 概 要 】−御湯神社は平安時代初期の弘仁2年(811)に当地を開発した藤原氏が岩井温泉の守護神として創建した神社です。平安時代中期に成立した延喜式神名帳にも式内社として記載され当時から格式の高い神社だった事が窺えます。宝暦2年に伊勢宮と合祀して現在地に遷座、明治時代に入り現在の社号である「御湯神社」に改め郷社に列しました。境内には平教経縁の「矢研石」があります。

【 場 所 】−鳥取県岩美郡岩美町岩井

【 構 造 】−切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−祭神である御井神は大穴牟遅神(大国主)と八上比売の御子神で、大穴牟遅神がスサノオの娘である須勢理毘売を正妻を迎えた際、御子(御井神)を木の俣に挟んで実家に帰った事から木俣神との別称があります。御井神は木の神、水神、安産の神とされる為、温泉神とはやや異なる印象を受け、元々は御井神社として創建され、温泉が発見された事に伴い社号を御湯神社と改めたとも考えられます。参道沿いには岩井廃寺跡(弥勒寺)があり日本最大級の三重塔の心礎(凝灰岩製:横3.63m、縦2.36m)が残されている事から当地が宗教的にも栄えていた事が窺えます。

伝承によると日本天台宗の開祖である伝教大師最澄が中国から帰国し岩井温泉に立ち寄った際、霊木から3躯の薬師如来像を彫刻しそのうちの1躯を岩井山延算寺(岐阜県岐阜市岩井)に納めたと伝えられており岩井廃寺跡(弥勒寺)が繁栄していた事が窺えます。ただし、伝教大師最澄が大陸に渡ったのは延暦23年(804)で帰国したのは延暦24年(805)5月、和田岬(兵庫県神戸市)に上陸し能福護国密寺を創建し7月には上洛を果たしています。これから推察すると、伝教大師最澄が帰国の際に当地を訪れた可能性は低く、岩井温泉が開湯したと伝わる弘仁2年(811)以前の出来事でもあります。

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