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 神社山門: 倭文神社

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倭文神社

倭文神社(鳥取県湯梨浜町)
【 概 要 】−倭文神社が何時頃から祭られているのか判りませんが古くから格式の高い神社として知られ、平安時代に成立した延喜式神名帳に式内社として記載され少なくとも平安時代後期には伯耆国一宮に格付けられていました。最盛期には社領1千石を領していましたが、室町時代中期頃には荒廃し、戦国時代に領主となった尼子氏が再興し社領70石を安堵しています。江戸時代には鳥取藩主池田家から社領を安堵され江戸時代中期には神輿渡御も再興されています。昭和に入り国幣小社に格付けされています。

【 場 所 】−鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内

【 構 造 】−切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−伯耆国が立国した当初は伯耆国造と関係が深く、国府とも比較的近い地に鎮座していた波波伎神社が伯耆国で最高位の神社でしたが、9世紀から10世紀頃に当社が最高位を奪取し、奉斎していた倭文氏が台頭し伯耆国造を上回る存在になったと推察されます。「倭文」とは楮、麻、苧などの繊維で織られた織物の事で、それを生産した集団の事を倭文部や倭文氏と呼び、上記の織物は朝鮮半島半部から北部九州でよく見られる事から海人族として特に西日本の沿岸部に土着し織物を広げたとされます。

倭文氏の祖神は建葉槌命である事から当社も創建時には建葉槌命が祭られていたと思われますが、その後は大正時代まで下照姫命が主祭神だったとされます。建葉槌命は奈良時代に成立した日本書紀に登場し星神香香背男を征服した神、大同2年(807)に斎部広成が編纂した古語拾遺では天羽槌雄神と名乗り、天照大神を天の岩戸から誘い出す為に文布(倭文布)を織った神として描かれています。一方、下照姫命は大国主神(顕国玉・大巳貴神)と多紀理毘売命(田心姫命)の娘で、天津神である天若日子(天稚彦)と婚儀を結び、天若日子が粛清されると喪屋を設けて8日8夜の殯をしたとされます。当社では下照姫命は出雲から仮屋ヶ崎(湯梨浜町)に上陸し御冠山に鎮まったとの伝承が残され、境内周辺には下照姫命の伝承が伝わる「化粧水」や「お腰掛岩」、「安産岩」などが点在しています。

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