総持寺: 竜宮門

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総持寺(愛知県・知立市)

総持寺(愛知県・知立市)概要: 総持寺は平安時代の嘉祥3年(850)に高僧として知られる慈覚大師円仁により創建された古寺です。当時は隣接する知立神社の別当寺院で神宮寺と称していました。知立神社は景行天皇の時代に日本武尊が東国平定する際、当地で戦勝祈願を行い、見事勝利に御利益があった事から凱旋帰国で再び当地に来た際に神意に感謝し社殿を造営したと伝わる古社です。知立神社は格式が高く六国史では神階が授けられ、延喜式神名帳では式内社として記載、三河国の二宮に格付けされていたとされます。中世は当地の土豪である水野氏から知立神社が庇護され社領の寄進や、社殿の造営が行われている事から総持寺も同様に庇護されていたと思われます。総持寺は江戸時代に入ると幕府の重鎮天海大僧正により上野寛永寺(東京都台東区上野)の末寺となり、現在の寺号である「総持寺」に改称しています。明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈運動により廃寺に追い込まれましたが、昭和に入り現在地に境内を移し再興しています。総持寺山門は入母屋、本瓦葺、三間一戸、上層部鐘撞堂、高欄付、竜宮門(中国風楼門)。境内は徳川家康の側室であるお万の方(知立神社の神官氷見氏一族)の生誕地と云われています。

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