豊川稲荷: 楼門

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豊川稲荷(愛知県・豊川市)

豊川稲荷(愛知県・豊川市)概要: 豊川稲荷は室町時代の嘉吉元年(1441)に東海義易(三河出身の曹洞宗の高僧、普済寺の華蔵義曇に師事)が創建した曹洞宗の寺院です。明治時代の神仏分離令後、稲荷といえば多くは神社に転じましたが豊川稲荷はあくまで愛称、別称で正式には「円福山豊川閣妙厳寺」と号します。戦国時代に入ると今川義元が帰依した事で境内や堂宇の整備が行われ、今川氏が滅ぶと、その後に領主になった徳川家康や、戦国大名で九鬼水軍でも知られた九鬼嘉隆などの諸大名も帰依しました。当初は円福ヶ丘に境内を構えていましたが、元禄年間(1688〜1704年)頃までに現在地に境内を移し、江戸時代中期以降は信仰が全国的に広がり一般庶民も多数参拝に訪れ門前町も活況を呈し大岡忠相や渡辺崋山なども信仰しました。神仏分離令後は鳥居が撤去されるなど神式が廃され寺院となっています(戦後、鳥居が再建されています)。豊川稲荷山門は天文5年(1536)に駿河国、遠江国守護職である今川義元が寄進したもので、入母屋、本瓦葺(鯱付き)、三間一戸、八脚楼門、外壁は真壁造り板張り、上層部花頭窓、高欄付、下層部左右には仁王像安置、「円福山」の山号額が掲げられています。

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