新潟県の楼門建築

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名 称
内   容
場  所
耕雲寺
耕雲寺
○耕雲寺は室町時代初期に本庄顕長が開基となり傑堂能勝禅師が創建した寺院です。当時の越後国の曹洞宗寺院の中では中心的な存在となり雲洞庵(新潟県南魚沼市)、種月寺(新潟県新潟市)、慈光寺(新潟県五泉市)と共に越後四ケ道場と呼ばれ、耕雲寺はその筆頭とされました。耕雲寺からは多くの名僧を輩出し、上記の3カ寺以外にも数多くの曹洞宗寺院の創建や改宗開山などに携わり、末寺や孫寺は数百に及び、江戸時代には10万石の格式を与えられています。山門は江戸時代中期の元禄15年(1702)に造営されたもので、三間一戸、入母屋、銅板葺き、八脚楼門、村上市指定文化財に指定されています。

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新潟県
・村上市
安善寺
安善寺
○安善寺は江戸時代初期の浄貞上人によって創建された寺院です。山門は江戸時代中期の正徳2年(1712)の建築で、三間一戸、入母屋、銅板葺き、八脚楼門、周辺の建物と共に良好な景観を形成し、通りは「安善小路」と呼ばれています。

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・新潟県
・村上市
乙宝寺
乙宝寺
○乙宝寺は奈良時代に名僧として知られた行基菩薩と婆羅門僧正により創建されたと伝わる古寺です。平安時代に入ると、領主である城氏が領内三ヶ寺として乙宝寺(新潟県胎内市)、法音寺(新潟県新発田市)、華報寺(新潟県阿賀野市)の三ヶ寺を特に庇護した事から大きく繁栄しました。江戸時代に入ると村上藩(新潟県村上市:本城−村上城)の藩主村上氏から帰依され三重搭が寄進され、境内には村上氏の五輪塔が建立されています。仁王門は江戸時代中期の延享2年(1745)に造営された建築で、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、内部には行基菩薩が彫刻したと伝えられている仁王像が安置されています。越後三十三観音霊場第26番札所。越後八十八カ所霊場第38番札所。

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・新潟県
・胎内市
菅谷不動尊
菅谷不動尊
○菅谷不動尊は文治元年(1185)、護念慈応上人によって創建された寺院です。護念慈応上人は源氏一族出身だった事から鎌倉幕府初代将軍源頼朝や3代将軍源実朝が篤く帰依し庇護しています。本尊として祀られている不動尊像は印度出身の仏師ビシュカツマが彫刻した三国伝来の霊仏で、日本三大不動尊に数えられています。建長5年(1253)の火災で本尊を守ったとされる「田螺」が信仰の対象とされ現在でも特別な存在となっています。山門は江戸時代末期の慶応2年(1866)の建築で三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚楼門。

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・新潟県
・新発田市
宝光寺
宝光寺
○宝光寺は戦国時代に溝口秀勝が雪崗全林を招いて創建した溝口家歴代の菩提寺です。溝口秀勝が新発田城に移封されると、新発田城の城下町である現在地に遷されています。藩主の菩提寺として庇護され、領内のお曹洞宗寺院を束ねる立場として繁栄しています。境内には新発田藩主溝口家墓所があり新発田市指定史跡に指定されています。山門は江戸時代後期の弘化2年(1845)の建築で、三間三戸、入母屋、桟瓦葺、八脚2重楼門、新発田市指定有形文化財に指定されています。

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・新潟県
・新発田市
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新潟県1耕雲寺安善寺乙宝寺菅谷不動尊宝光寺
新潟県2観音寺西福寺本成寺新善光寺西照寺白山神社
新潟県3康源寺林泉寺慈眼寺|神宮寺普光寺千眼寺

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