新潟県の楼門建築2

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名 称
内   容
場  所
観音寺
観音寺
○観音寺は室町時代に越後守護代長尾家が開基となり月窓明潭大和尚によって創建された寺院です。戦国時代になると越後の虎の異名を持った上杉謙信(春日山城の城主)により篤く庇護され境内には謙信のものと伝わる五輪塔が建立されています。跡を継いだ上杉景勝も謙信同様に庇護した事で寺運も隆盛し大寺院に発展しました。戊辰戦争の際には戦場となり、境内の木々に当時の弾痕が随所に残されているそうです。山門は三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚鐘楼門。蒲原三十三観音霊場第二番札所。

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新潟県
・阿賀野市
西福寺
西福寺
○西福寺は何時頃から信仰されていたのかは不詳、戦国時代の天文13年(1544)に現在地に境内を移し再興されています。山門は三間一戸、入母屋、桟瓦葺、八脚鐘楼門。蒲原三十三観音霊場第17番札所。

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・新潟県
・阿賀野市
本成寺
本成寺
○本成寺は鎌倉時代末期の永仁5年(1297)に山吉定明、山吉長久が日印上人を招き創建された寺院です。長く山吉氏の庇護を受け境内には七堂伽藍が造営され、多くの坊院を擁しました。昭和26年(1951)に法華宗陣門流の総本山となっています。山門は江戸時代後期の天明6年(1786)の建築で五間三戸、入母屋、瓦葺き、2重楼門、新潟県指定文化財に指定されています。

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・新潟県
・三条市
新善光寺
新善光寺
○新善光寺は鎌倉時代初期に甚目寺(愛知県あま市甚目寺)の僧侶沙門定尊聖人によって創建された寺院です。その後、室町時代初期に感誓和尚により現在地に再興され、戦国時代に岌天和尚によって浄土宗鎮西派藤田流として再興されています。戊辰戦争の際には旧幕府側の桑名藩の本陣となり、戦死者の墓碑が建立されています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚鐘楼門。

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・新潟県
・阿賀町
西照寺
西照寺
○西照寺は平安時代末期の承安3年(1173)に源阿空昭上人によって創建された寺院です。室町時代に伝誉上人が現在地に移し浄土宗の寺院として再興されましたが、庇護者だった清水氏が戦国時代に上杉謙信によって滅ぼされた為に衰微します。江戸時代に入ると、当地域は天領となった為、徳川将軍家の庇護となり5代将軍徳川綱吉から10万石の格式を得ています。山門は一間一戸、入母屋、銅板葺、四脚楼門。

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・新潟県
・柏崎市
白山神社
白山神社
○白山神社が何時頃から信仰され始めたのかは判りませんが、伝承によると平安時代末期に白山比盗_社(石川県白山市)で祀られている祭神を祀ったとされています。一方、平安時代に成立した延喜式神名帳で式内社として記載されている船江神社の論社でもあります。戦国時代には越後の領主上杉景勝、江戸時代には長岡藩(志位方県長岡市:本城−長岡城)の藩主牧野氏が庇護し、社領の寄進や社殿の造営が行われました。随神門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門。

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・新潟県
・新潟市
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新潟県1耕雲寺安善寺乙宝寺菅谷不動尊宝光寺
新潟県2観音寺西福寺本成寺新善光寺西照寺白山神社
新潟県3康源寺林泉寺慈眼寺|神宮寺普光寺千眼寺

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